安倍晋三元首相
安倍晋三元首相
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 安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから3週間余り。岸田文雄首相は安倍氏に「大勲位」という栄典を授け、1967年の吉田茂元首相以来となる戦後2例目の国葬実施を決めた。国論を二分する国葬に踏み切った岸田首相の意図を検証する。

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  自民党が圧勝した参院選の余韻が漂う7月11日、自民党本部で開かれた臨時役員会の席上、党四役の一人がこう訴えた。

「安倍元首相の葬儀は国葬にすべきだ!」

 他の保守系役員からも「国葬」を求める声が相次いだほか、党内の保守系議員グループからも同様の意見が官邸に寄せられていた。

 政府関係者はこう話す。

「安倍氏は首相在任中、毀誉褒貶が激しかったため、岸田文雄首相の念頭には内閣と自民党、国民有志が共同で実施する『国民葬』があった。佐藤栄作元首相も『国民葬』で送られました。国葬には政府内でも慎重論が根強く、首相はしばらく迷っていた。そんな首相を説得したのが後見役である麻生太郎副総裁。12日の夜に岸田首相の携帯電話を鳴らし、国葬の決断を促した。そこで岸田首相は持ち前の『聞く力』を発揮して国葬転換の決心がついたのです」

 いくら麻生氏の意向があったとはいえ、岸田首相はなぜ異例とも言える国葬実施に転じたのか。自民党関係者はこう話す。「安倍氏は自民党の『岩盤保守層』に強い影響力を誇示していた。この層はいかなる逆風が吹こうが、必ず自民党に投票する。それが安倍氏の死去で不安定化すると、岸田政権の基盤が揺らぎかねない」

 岸田首相は自民党の中でもリベラル寄りの宏池会(岸田派)に属し、タカ派の安倍氏とは距離があった。このタイミングで、防衛費増額や憲法改正など安倍氏が訴えてきた路線に後ろ向きの姿勢を見せれば、岩盤保守層が離れていく恐れがある。

 実際、安倍氏に近かった下村博文元文部科学相は、国葬をめぐる議論が激化した11日夜、BS日テレの番組で「岸田首相はリベラル系。安倍さん、あるいは清和研は自民党のコアな保守の人たちをつかんでいた。それを疎んじるようなことになったら、コアな保守の人たちが自民党から逃げるかもしれない」「安倍さんがお亡くなりになったことが岸田さんにとって都合がいいようになるかどうかは『逆になることもある』と考えて人事を配慮してもらう必要がある」と激しい発言をして、多くのメディアに取り上げられた。

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