富岡町を巡るツアーを企画・運営 秋元菜々美さん(24)/福島県富岡町出身。今はコロナ禍でなかなかできないが、町を巡るツアーは基本的に月2回実施。「意欲的にやれているのも、20代という今だから」
富岡町を巡るツアーを企画・運営 秋元菜々美さん(24)/福島県富岡町出身。今はコロナ禍でなかなかできないが、町を巡るツアーは基本的に月2回実施。「意欲的にやれているのも、20代という今だから」

 将来のことはわからない。だけど、被災経験は語り継いでいきたいと考えている。

 昨年、小学校の同級生と2人で、新たな語り部の団体「Tell─子どもの目線から伝える被災地─」を立ち上げた。オンラインも活用した語り部活動にも力をいれたいと話す。

■分かちがたく結びつく

 語り続けるのはなぜですか?

 聞くと、生き残った者の「使命感」とも「役割」とも違うと言う。やりたいことをやっているだけ、と。でも、こう言った。

「私たちが伝えなければ、私たちと同じ思いをする人が出てきます。未来で、一人でも災害で亡くなる人をなくしたいです」

 取材で会った被災地のZ世代。彼ら、彼女らに共通する行動の原動力は、津波と原発事故によって奪われた生まれ育った故郷への思いだ。

「ずっとこの町を見続けていきたい。この町と自分という者が、分かちがたい状態で結びついていると思います」

 秋元菜々美さん(24)はそう話す。

 福島県富岡町。町は、東京電力福島第一原発から10キロ圏内にあり、原発事故で全町避難を余儀なくされた。

 当時中学1年生だった秋元さんも家族と避難し、県内外を転々とした。いわき市に避難していた高校1年生の時、かつての自宅に初めて一時帰宅した。

 生まれ育った家、通った学校、春には桜がいっせいに咲いた通り……。3年ぶりの「故郷」は、バリケードの中にそのままの姿で残っていた。

 ここが、自分が暮らしてきた町なんだ──。

 町への思いが込み上げた。

■豊かさとは何か考える

 専門学校を卒業した18年、富岡町役場に職員として採用された。同時にその年の冬から、町の住民や町を訪れる学生たちに自らの経験や思いを、ツアーを通じ表現していく活動を始めた。昨年末からは、仲間の俳優たちと3人で地元を案内する。

 JR富岡駅で待ち合わせをし、富岡漁港、新福島変電所、更地となった自宅跡などを回る。参加者は途中、道端の草を摘んだり砂浜を自由に散歩したり、五感を使って巡る。

「ここには当たり前の生活があったこと。その暮らしが、原発事故で失われたこと。事故は決して福島だから起きたのではなく、どこにいても起き得る。そうしたことを考えるきっかけにしてほしいです」

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