一方で、山形県から来たという3人組の男女はこう話した。
「(長渕)剛が来るって聞いて。今日になって知ったんだけど、高速を飛ばしてきました」
彼ら以外にも、「長渕さん目当て」に会場を訪れたと思しき人は多かった。追悼式では長渕さんが歌い終わった後、地元選出の安住淳衆議院議員らによる追悼の辞、遺族代表や来賓、参列者の献花と続いたが、長渕さんがステージを降りた直後から帰路につく人が多く、追悼の辞が進むにつれて人垣は明らかに少なくなった。また、式典では遺族代表以外の参列者にも献花用の花が用意され、最後に献花できたが、献花の列には並ばずに長渕さんの「出待ち」をしていた人もいる。
また、この追悼式の会場から200メートルほどの距離にある公園内の別の場所では、民間の追悼行事も開かれていた。市民団体が主催し、震災初期から続けられてきた。14時46分の黙とう時刻にはこの会場にも500~600人ほどが集まっていたが、毎年参加しているという女性はこう話す。
「黙とう時刻に集まっていた参加者は、去年より少なかったものの例年と比べて大きく減った印象はありません。ただ、黙とうが終わり、子どもたちによるバルーンリリースを準備しているタイミングで長渕さんの歌が聞こえ始めました。会場がざわつくようなことはありませんでしたが、バルーンが放たれて司会の方が『バルーンが空高く舞い上がっています』と言ったくらいのタイミングで大勢の人が長渕さんの歌っている方向へ一斉に動きはじめました。駆け足になる人もいて、会場で配っていたハンカチを回収できずにボランティアさんが困っている様子もありました。例年はバルーンが見えなくなった後もみんなで空を見上げて、何とも言えない同じ時間を共有していたのですが……」
女性自身はしっかりと追悼の思いを込められたというが、「なぜ黙とうの直後に……」という思いもぬぐえなかったという。
追悼式は本来、遺族が亡くなった家族への思いをはせて祈りをささげる厳粛な場だ。石巻市で長く活動する支援団体の職員はこう表現する。
「市が執り行う追悼式は基本的には仏教でいう『法要』です。ご遺族が集い、無念さを思い出して改めて悲しむグリーフワークの場ともいえる」