東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 安倍元首相銃撃事件から3週間が過ぎた。山上徹也容疑者が動機として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みを口にしたことから、世間は政治と宗教の話題で沸き立っている。

 容疑者の母親は同教団に1億円を献金し、家庭崩壊に追い込まれたという。大前提として、宗教法人を隠れ蓑(みの)にした犯罪行為は許されない。親の信仰で苦しむ児童は社会で保護すべきだ。必要な対処が多額の献金や選挙協力により歪(ゆが)められていたとしたらとんでもない話である。自民党と旧統一教会の関係は、これを機に徹底的に解明すべきだろう。

 しかし同時に忘れてならないのは、問題の出発点が純然たる殺人だという事実だ。元首相が選挙期間中に白昼堂々射殺された。動機がなんだろうと許される行為ではない。再発も防ぐべきだ。容疑者は自宅で銃や爆弾を自作し、試射を繰り返していたという。情報をなぜ事前に入手できなかったのか。映像を見ると容疑者の悠然とした動きに驚く。警備の不備が疑われる。こちらも責任を確定し改善に全力を尽くしてほしい。

 ネットや一部メディアで容疑者に理解を示す声が聞こえるのも心配だ。戦前でもテロリストに同情が集まった。それは敗戦に至る暗い歴史を準備した。虐げられた声を掬い上げるのは重要だ。しかし暗殺が声の受け皿になってはならない。成功の印象を与えると追随者が生まれる可能性がある。これから裁判もある。ポピュリズムに流れる報道には自制を求めたい。

 要人暗殺は社会を一変させてしまう。実際に今世論は異常な興奮状態にある。ネットでは罵詈(ばり)雑言が飛び交い、安倍元首相の神格化と山上容疑者への共感が同時に進み始めている。大変不穏な状況だ。

 銃撃には確かに不幸な背景があっただろう。孤独で行き詰まった人々の包摂は必要だ。しかしそれでも、私たちはまずはテロは断固許さないという決意を繰り返し表明し続けるべきである。宮坂直史・防衛大学校教授は、民主主義を壊すのはテロリストではなく、テロを受けた側の人々だと語っている。後年振り返ったときに、この事件が日本史の転換点だと言われないことを切に願っている。

◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2022年8月8日号