しかし、その後はさして付き合いもなく、20年の月日が流れたある日、その片山からいきなり手紙が届く。
「僕の商業監督デビューとなる作品で、二朗さんに主演をやって欲しい」
突然過ぎて、なんのことやら分からない。ん?片山って、あの、20年前に制作見習いで右も左も分からず現場にいた、あの、人というよりはほぼ猿と言っても差し支えない、あの片山か?
手紙の他に、彼が自主制作で監督した「岬の兄妹」という映画のDVDと、平仮名3文字の「さがす」という妙なタイトルの初稿台本が同封されていた。
とりあえず、妙なタイトルの台本を読んでみた。
面白かった。圧倒的に面白かった。
そして、しんどかった。
「二朗さんにアテ書きしました」と片山の手紙に書いてあった僕の役は、筆舌に尽くしがたいほどの過酷な状況の渦中にいた。
引き受けるにはメンタル的に相当の覚悟がいると思ったが、それを粉砕するほど、「やりたい」という気持ちが強く湧き出た。
「よくぞ俺のところに話を持ってきた」と思った。
そうして瞬く間に撮影がインしたが、撮影中も、「バケモンみたいな作品になる」という思いはますます強くなった。
片山監督からの提案が、いちいち面白い。大事なのは、面白いと「僕も」感じられたことだと思う。
俳優が「なにが良いのか分からないけど監督の指示だからとりあえず従おう」というのと、「その提案面白い!従いたい!てか、従わせて!俺の持ってるものでその提案を料理させて!」というのでは、全然違うと思う。
もちろん、監督や作品や役やシーンによって「俳優はなにが良いのか分からないままやった方がむしろいい」という場合もあるし、「俳優の自我で料理なんかしない方がいい」という場合もあろうが、それはまた別の機会に。
とにかく、片山監督の珠玉の提案により、どんどん高みに昇るような感覚が、撮影中、確かにあった。
そして映画は完成し、皆さまに観て頂けるようになった。
そのあと、映画のパンフレットに掲載された片山監督のインタビューに、こんな文があるのを僕は知る。
「あの表情は僕が指示したのではなく、二朗さんが提案したものです。人間ではなくなる瞬間というか、人間的なつながりを捨てて、自分の利益のために行動する顔ですよね。あの表情が撮れただけで、この映画は勝ちだと思いました。」
お互いだったのだな、と思う。互いに刺激やプレゼンを受け渡ししながら、1つの作品をつくりあげられたんだな、と思う。
そして、今回は片山監督について書いているので多くを割けなかったが、どうしても触れておきたい。伊東蒼、清水尋也、森田望智といった若手俳優陣が、皆、腰がぬけるほど素晴らしいんだよマジで。
そして片山は、猿ではなかった(←当たり前)。
20年前、ヘラヘラして、その辺をウロチョロしてた若造から、こんなに沢山の刺激を頂戴できるとは思わなかった。
今後、片山慎三という監督から目を離せないし、離さない方がいい。
そして出来ることなら片山よ。
世界へいけ。
映画「さがす」、引き続き、よろしくお願いします。
■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家、映画監督。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や映画「幼獣マメシバ」シリーズの芝二郎役など個性的な役で人気を集める。著書にツイッターの投稿をまとめた『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)などがある。96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がけ、原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)がBD&DVD発売中。また、主演映画「さがす」が公開中。