戦後、尾崎が昌久さんと再会したのち、なぜこれほどまでに心を傾け、世話をし続けたのか。昌久さんが勤めていた商店を辞めて起業した時には給料1カ月分に当たる祝金を包み、資金が足りないと聞けば友人知人から借金ができるよう奔走。結婚する際は一も二もなく仲人を引き受けた。事業拡張の際には協力を惜しまない。その篤実さ、慈愛の深さが柔らかな筆致を通じてじんわりと伝わってくる。昌久さんの心に開いていた穴も、いつしか埋められていった。

「尾崎さんは体が弱かったこともあって家のまわりで起きる身近なことだけを書きながらも普遍性を持つ文学を生みました。それなら私の身内の話でも普遍性を持つかもしれない。『もっと親の話を聞いておかなくては』と思うきっかけになれば嬉しいです」

 最近、尾崎の本は文庫や電子書籍で復刊され、再び静かな光を浴びている。磨き抜かれた文体で描き出される日常の小さな出来事は、実に奥行きが豊かなのだ。

「尾崎さんは神社の家系に生まれ、神道に根ざした自然観を持っていました。作品を読むと、戦後高度成長期に入った頃からその動きに疑問を抱き、警鐘を鳴らしていたことがわかります。ある意味とても今日的なので、復刊されているのかもしれません」

 再び世界が戦火に揺れ動く今だからこそ、本書が尾崎一雄の再発見につながってほしいと田中さんは願っている。(ライター・千葉望)

AERA 2022年3月28日号

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