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■論破はお茶の間でウケてるの?

 昨年漫画を出版した後に、いくつかの媒体でインタビューを受ける機会がありました。漫画の紹介を兼ねて、聞かれたことに対して基本好き(勝手)に答えていたのですが、そこで不思議だなぁと思うことがありました。

 あるインタビュアーさんから「今日本では論破王、というかひろゆきさんブームがすごいんですが、ひろゆきさんの支持される理由はなんだと思いますか?」といった感じのことを聞かれました。

 前提として、私は2015年からフランスに住んでいるため、日本のテレビ番組を見ることができません。時々Twitterのフォロワーさんが、YouTubeに投稿された彼の出演番組を教えてくれることもありますが、それを観る程度で、基本的に彼が日本のどんな番組に出ているかは殆ど知らず、彼も私に自分の活動を逐一話すタイプでもありません。

 そんな状態なので、私は正直に「支持される理由は内容によるから、番組を観ていない自分には分からないけれど、論破に関しては、絵的に強くてわかりやい図式だし、決まった時間で毎回ネタを考えなければいけないメディアなど、作る側が楽だから好まれるんじゃないですかね?」と答えましたが、心の中ではこう呟いていました。

「え、別にそこに論破いらなくね?」って。

■それってメディアの怠慢ですよね?

 議論する内容について知識はあった方がもちろん良いし、視聴者と目線が近いことも悪いことではないと思います。人は自分に近いと感じる人に親近感を覚えるもので、そういう人は自分の味方であるかのように感じたり、応援したくなったりします。

 でも、そこに論破の要素って必要でしょうか?

 上手に言い返したりその場を切り抜けられず悔しい思いをしたり、「ああ言えればよかったのに」と思う人がいたとして、それが出来る人を見て、代わりにスカッとする気持ちは分からなくもありません。

 でも、他者に向けて自分を優位に見せたり、勝敗をはっきりつけなければならない局面って、日常ではそこまで多くありません。職場など駆け引きが必要な場面でも、長期的な関係を考えれば論破は逆効果になることが多いと思うのです。

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「論破はしない方が良い」と思う理由