私の言葉などいささか恥ずかしくはあるが、読み返してみると、孤独が一本の筋として通っている。戦中から結核で隔離されていて敗戦を迎えた時の心もとなさが、私の中に孤独という筋を作った。
「孤独とは、一人で生きていく覚悟である。」と本文の一行目にある。
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「淋しい」と「孤独」は違う。話し相手がいないから淋しくて、孤独。そんな安直なものではないはずである。
淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟である。淋しさは何も生み出さないが、孤独は自分を厳しく見つめることである。(中略)
「孤独」の中で、自分を見つめることは、実に愛しいことではないか。
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なぜだか、私の本には孤独とつくものが多い。『極上の孤独』『孤独の飼い方』『孤独を抱きしめて』などなど。私の何が孤独にふさわしいのか。
桜の花の下を夜一人で歩く孤独! 沢山の白い顔をした花片が私を見下ろしている。その花片が今年はみな蒼ざめて見える。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
※週刊朝日 2022年4月8日号