下重暁子・作家
下重暁子・作家
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、ウクライナについて。

*  *  *

 つれあいの誕生日に見事な桜が贈られてきた。大島桜といって、葉で桜を包むという。色はほとんど白、というより緑がかった白。葉の色が青ざめて見える。その桜がいたく胸を打った。今の私の気分にぴったりなのだ。

 なぜなら毎日ウクライナ状勢に接して、とても桜どころではない。

 ウクライナでも桜は咲く。ロシアの侵攻が続いている首都キエフ。古都に桜はよく似合う。ここで桜が咲くのは、四月の終わりから五月、日本の北国と同じ、ゴールデンウィークの頃だ。今年は咲くだろうか。何本かの桜は焼けただれたに違いない。

 今年はピンクや白、まして八重など華やかな花はふさわしくない。たまたま贈られた蒼白い桜が今の気分にふさわしく、ほっとする。

 淋しげで、じっと見ていると抱きしめたくなる。

 キエフからポーランドへ逃れ、人の間を縫ってふらふらとひとり泣き歩いている少年の姿を見た時もそう思った。彼は母親や兄妹とはぐれてしまったのか。

 彼は孤独を抱きしめて、今夜も避難民のキャンプに紛れて一人眠るのだろうか。涙も涸れはてているに違いない。

 たまたま、三月十四日に私の『孤独を抱きしめて』(宝島社)という本が出た。

「生まれたのも一人、死ぬのも一人、そう思うとなんとも愛おしい」

 と帯にあるが、少年にはそんなことを感じるゆとりなどあるはずがない。今日一日を精一杯くたびれはてて眠るのだ。

 太平洋戦争に敗れた日本も、戦後家なき子が溢れ、駅をねぐらにして、翌朝には冷たくなっている子供も珍しくはなかった。野坂昭如さんの「火垂るの墓」の光景が重なった。

『孤独を抱きしめて』という本は、私が若い頃からしこしこと書き溜めてきた文章や喋りから選んで「下重暁子の言葉」としてまとめたものだ。

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