冬はほとんどスキー場で過ごす。「まわりは驚きませんでした。普通と違う話が私の発言には多いので。スケジューリングの努力は必要ですが、今後は100日滑走もできるのではと思っています(笑)」(写真=今 祥雄)
冬はほとんどスキー場で過ごす。「まわりは驚きませんでした。普通と違う話が私の発言には多いので。スケジューリングの努力は必要ですが、今後は100日滑走もできるのではと思っています(笑)」(写真=今 祥雄)

 正しい経営をしようと意志を貫いた星野を、実は評価していた人たちもいた。再びアメリカに渡ってシティバンクで働いていた星野に91年、株主から連絡がくる。戻ってこないか、と。株主総会で役員を交代させ、父親に代わって星野が代表に就任する。事実上のクーデターだった。

 代表就任からの5年間が、最も苦しい時代だったと星野は振り返る。業者からの見積もりをすべて取り直すなど経営の透明化に取り組む一方、顧客満足度調査に基づく数値管理など新たな取り組みを進めるが、古株の社員はついてこられずに辞めてしまった。大学時代のアイスホッケーのようにはいかなかった。命じるだけでは、人はついてこないのだ。しかも、古い温泉旅館で働いてくれる人はそうそう見つからない。そんな中、星野はアメリカで学んだセオリーの実践に挑み始める。

「人を採用するには、会社を面白くするしかないと思いました。思い浮かんだのがケン・ブランチャードが説いていたフラットな組織文化でした」

(文中敬称略)

(文・上阪徹)

AERA 2022年4月4日号

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