米不足を見て、「パンの時代が来る」と起業し100年。食卓にパンを届け続け、さらなるおいしさを追求してきた。日本人の好みにあわせるなど、その進化は今も止まらない。
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「『本仕込』食パンの発売が、フジパン100年の歴史の中で大きな出来事です。これにより販路が拡大し、フジパンの名が大きく知られるようになりました」
そう力強く話すのは、フジパングループ本社専務取締役の橋本禎力さんである。
フジパンは、名古屋市中区で産声を上げた。創業者の舟橋甚重は、屋号を名古屋城の天守に輝く金の鯱(しゃち)のようにと「金城軒」とした。パンや菓子の店を始めたのは、甚重が年季奉公へ出た先が和菓子製造業であったことと、米騒動で人々がパンを求めて列をつくる光景を見て、「これからはパンの時代になる」と確信したためである。
第2次世界大戦の影響で一時休業したが、1946年、終戦後の配給食糧としてパンの委託加工を始めた。このときに社名を「富士精糧工業」に改め、66年に「フジパン株式会社」となった。
「当社は70年に大阪で開催された日本万国博覧会で単独で『フジパン・ロボット館』というパビリオンを出展しました。当時の会社の規模から考えると、ちょっとした冒険かもしれなかったですね」と橋本さん。
当時、フジパンの食パンは全国的に認知されていなかった。特に関東では菓子パンのイメージが強かった。そこで「関東でも食パンを主力商品に」と新たな食パンの開発が始まる。
どんな食パンにするかを思案していたところ出合ったのが、北陸にある評判の手づくり食パンのお店で、そのパンはご飯のようなもちもち感があった。これだ、と会社は開発を進めた。
「もちもち感を出すためには、最初に全部の材料を混ぜ合わせて生地を作るストレート製法という方式を用いるのですが、風味が日持ちしないうえ、機械で大量に作るのには向かないのです」と橋本さん。