これに対し、山岡本人も「僕はダルビッシュさんがスライダーのレクチャーをしているのも見て今の縦スラを覚えました。こちらこそありがとうございました」と返信。ツイッターがご縁で始まった両者の交流は、双方ともに良い刺激を受けているようだ。
オリックスといえば、昨季13勝を挙げ、左のエースに成長した宮城大弥も、高校3年の時点でダルビッシュから熱い視線を送られていた。
19年夏、興南高のエース・宮城は沖縄県大会決勝で延長13回の末、沖縄尚学に敗れ、3年連続甲子園出場の夢を断たれたが、ダルビッシュは7月28日に「興南の宮城投手いいわぁ。投げ方、球筋、総合的に好きすぎる。俺あんなピッチャーになりたかったわぁ」とべた褒め。球界の大先輩から最大級の賛辞を贈られた宮城は「眠れないほどうれしかった」という。
さらに昨年5月11日、プロ2年目の宮城がドラフト制以降の10代の先発投手では史上初の開幕から無傷の4連勝を記録すると、ダルビッシュは「自分は曲がり球のリリースの時に利き手の甲をホームベース側に持っていくのが上手+そこからの脱力の仕方が上手な選手が好きなんです」と前置きしたうえで、「宮城投手は高校の時からかなり上手かった。これが出来る人は曲がり球で奥行きを使えるので打ちづらいと思います」と解説している。
山岡といい、宮城といい、ダルビッシュが称賛した投手がいずれもプロで結果を出しているのは、けっして偶然ではないだろう。
一方、打者でダルビッシュに評価されているのが、甲子園で3季連続本塁打を記録した盛岡大付の外野手・植田拓だ。
身長165センチと小柄ながら、高校通算63本塁打のパワーヒッターは、同世代の早稲田実・清宮幸太郎(現日本ハム)、九州学院・村上宗隆(現ヤクルト)らとともにドラフト候補に挙がっていたが、右手首を痛めたため、高校からのプロ入りを断念した。
にもかかわらず、17年のドラフト直後、ダルビッシュは、古巣・日本ハムが7球団競合の清宮を引き当てたくじ運の強さに言及するとともに、「自分としては植田拓選手をプロで見たかった」とつぶやいている。