マキタスポーツ (撮影/写真映像部・高野楓菜)
マキタスポーツ (撮影/写真映像部・高野楓菜)
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 芸人でありながら、俳優やミュージシャンとしても活躍するマキタスポーツさん。そんな「異能の人」が、今度は初の小説『雌伏三十年』を出版。同じ山梨出身で高校の先輩でもある林真理子さんとは、地元の話で意気投合。自身のキャリアから山梨への思いを語りました。

【林真理子さんとのツーショット写真はこちら】

マキタスポーツが役者で成功した理由は「古着化」した顔?】より続く

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林:私がマキタさんを初めて見たのが「花子とアン」(NHK朝ドラ、2014年)ですけど、甲州弁がこんなにネイティブな人、誰だろうと思ったら、「マキタスポーツさんよ」って言われて、おもしろい名前だなと思っていたんです。

マキタ:林先輩、僕の実家の「マキタスポーツ用品店」には、行ったことないですか。

林:すいません、私、スポーツには縁がない人だから(笑)。

マキタ:僕が役者の仕事を本格的に始めたのは2012年で、今年で丸10年なんです。最初は芸人として10年ぐらいの下積みがあって、ようやく認められたぐらいのタイミングで映画のお仕事をいただいたんですよ。それが先ごろお亡くなりになった西村賢太さん原作の「苦役列車」という映画(12年)で、あろうことかブルーリボン賞の新人賞をいただいちゃったんですよ。40(歳)すぎて。

林:そういうことがあったんですね。それまで演技の経験はあったんですか。

マキタ:エキストラに毛の生えたような役をいただいたり、たけしさんの事務所にいたときに、たけしさんが撮った「アウトレイジ」(10年)にちょい役で出してもらったりしてました。だけど僕、役者をやっていく気持ちまったくなくて、音楽と笑いを混ぜた「オトネタ」っていうやつを基本的にやっていきたいと思ってたんです。

林:いまもやってますよね。すごくおもしろいって評判です。マキタさんは、“異能の人”のわりには、意外なことに破天荒な女性関係もなく、ご家庭もすごく大事にされていて(笑)。

マキタ:ハイブリッドな“異能の人”ということで(笑)。

林:お子さんも4人?

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