だがまったく苦労を感じさせない。もちろん周囲はたいへんだが、本人には植物のこと、研究のことしか頭にないのである。それが妙に爽快で、明るくて、魅入られる。これはひとえに、彼が現代の世では難しい「純粋」と「自由」を体現しているからだろう。

 幼い頃に抱いた夢をいつまでも持ち続け、その実現のために邁進する。金や名声や、所属する大学のために研究するのではないし、何かの役に立つからするのでもない。ただ好きだから、ただ知りたいから。その思いだけなのだ。

 最近、何かにつけて「それは何の役に立つのか」という実利的な成果を求める風潮が強いように思う。経済効率やコストパフォーマンスが重視される場面も多い。けれどそうではないのだ、と本書は伝えてくる。

「学問は富国や立身の道具ではない。(中略)それでは、学問の本筋に悖(もと)る。何かに役立てるためではなく、学問は学問することそのものに意義があるのではないか」

「百年後に役立つか、二百年後か。いや、いったい、いつ役に立つか判然とせぬものを大切に見つめて考えて、この世に残していくのが学問というものです」

 ボタニカには、植物という意味の他に種子という意味がある。富太郎のような誰かが生涯をかけて蒔いた種子は、いつか、後に続く者たちの手によって芽吹くかもしれない。学問とはそのための積み重ねなのだ。

 その根源にあるのが、好きだという気持ち、学びたいという情熱なのである。「好き」という種子のしなやかな成長を力強く描いた評伝小説である。

週刊朝日  2022年4月29日号

暮らしとモノ班 for promotion
防災対策グッズを備えてますか?Amazon スマイルSALEでお得に準備(9/4(水)まで)