その頃、松方さんとは1度だけ、弁護士事務所であったことがあるという。

「真沙史を連れていきました。松方さんは真沙史を抱き上げてくれましたね」

 その後、松方さんとの付き合いは特になかった。

「こちらにとってはプラスはあっても、向こうにとってはマイナスでしかない。松方さんは、子供は自分で生きていけばいいという考え方でした。私が薬物回復施設を運営しているのは知っていたのではないでしょうか。長男がテレビにちょくちょく出演していましたから」

 長男の晃太郎さんは若い頃、DJの修行をするために渡米していた。

「ニューヨークではジャンキーだったので、父親が現地まで迎えに行って、日本に連れて帰って来てくれたんです。長男は薬物依存から回復するために『沖縄ダルク』へ行って、立ち直りました」

 長男の件がきっかけとなり、マリアさんは13年前、女性専用の薬物依存者のリハビリ施設を開設した。

「私も60歳になったから、歌の仕事もそんなにないし、男性の薬物更生施設はあるけど、女性はないから、私がやってみようと思ったんです。最初の頃、東京・祐天寺の私のアパートでやっていたんです。病院から1人また1人と女性が来るようになって、部屋からあふれるようになっていった。私は次男と台所で寝ていたくらいです。それで、館山に引っ越しました」

 今年2月、ダルク創設者の近藤恒夫さんが大腸がんで死去した。

「近藤先生が女性専用の回復シェルター『S.A.R.S』の名前をつけてくれたんです」

 S.A.R.Sは、Salvia Addiction Recovery Service (サルビア・アディクション・リカバリー・サービス)の略。マリアさんの実体験から家族や身内の理解も必要だと「サルビア家族会」も始めた。現在、入寮者はS.A.R.Sが女性65人、長男・晃太郎さんが代表を務める館山ダルクが男性160人だという。

「昨年、私は脳梗塞で倒れたんですが、後遺症は残りませんでした。神様が私の頭をたたいたのかなと思い、歌うことを再開しようとひらめきました」

 マリアさんは、2013年3月に死去した作詞家・石坂まさをさんと親交があった。石坂さんは歌手・藤圭子さんの育ての親としても知られる。

「石坂先生がお亡くなりになる前の晩年の1年間、先生のご自宅に通っていました。私は歌手デビューした頃、藤圭子さんと同じレコード会社でしたし、石坂先生に詩を書いてもらった曲もあるんですよ。『下町マリア』と『忘れじの京都』という2曲でした」

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