おなかの成長もマリアさんがひとりで見守り、ひとりで出産した。

「ひとりでの出産は悲しかったのを覚えています。出産費用もなかったので、友人の紹介で、ツケで入院しました。若かったし、一途で一本気な融通の利かない女でした。かけひきなしで生きていましたから」

 今思い返すと冒険だったという。

「おなかが大きくなり、出産するまでの間は長い長い時間でした。おかげさまで、生まれてきた真沙史は、孝行息子です。松方さんに感謝しています」

 松方さんは1985年に始まったビートたけし司会のバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)にレギュラー出演するようになる。それまでの寡黙でシリアスなイメージから、たけしと掛け合いをする、ひょうきんなおじさんとして、お茶の間の人気者になった。

「まだ、たけしさんの番組に出演する前、松方さんから『何で、たけしがいいの?』と聞かれました。私はたけしさんのファンでしたから、『今の時代、たけしさんなくして生きていけないよ』と答えたのを覚えています。その後ですよ、松方さんがたけしさんの番組に出演したのは。『あっ、私の話をちゃんと聞いていたんだな』と思いました」

 松方さんには生前、共演者、スタッフらと食事に行き、「お金のギッシリ詰まった財布を店主に預け、みんなにごちそうしていた」などの”豪遊伝説”がある。マリアさんの知る素顔の松方さんは、どんな人だったのか。

「豪快にお金をばらまくという感じではなかったです。だけど、自分の仕事に関しては気を使うし、お金をかけていました。番組の打ち上げに自転車をスタッフたちにプレゼントしたというエピソードを聞いたこともあります。自分の仕事にとって、先につながると思ってのことではないでしょうか」

 松方さんは、真沙史さんが20歳になるまで、養育費を毎月30万円払い続けたと報じられた。真相はどうだったのだろう。

「最初の頃は、養育費は月10万円だったんです。それではとても足りなくて、長男が次男を抱っこして、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の楽屋へ直接行ったんです。汚いほどいいだろうってことで、ボロボロの格好をしてね。子供たちが面会して、私の『生活が苦しいから』という手紙を渡してくれたのです。後で、松方さんの表情が引きつっていたと聞きました。その後、養育費が10万円から30万円に上がりました」

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ