人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「引っ越し」について。
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この暑さの中、引っ越しをした。といっても住まいではなく、仕事場である。赤坂に八畳ほどのワンルームを借りていたが、本やら資料が増えて、手狭になってきたのと、私が他人に貸していた部屋が空いたのである。
私たちのように、住まいがそのまま仕事場というのは気分が変わらない。家人もいるし電話も鳴り、ピンポーンと届け物が来る。特にこの時期は暑中見舞いも多く、そのたびに集中力が失われる。私は、比較的音は気にならない方だが人と話すことで完全に思考が切れる。
だから少し離れた場所に秘密基地を設け、家人、友人、誰にも教えず、そこに着くと完全に一人になれることが嬉しかった。しかも赤坂の仕事場は七階にあり、西側の窓を開けると、江戸時代に作られた、樹木と芝生に囲まれた、池のある空間が広がっている。
私の今の居場所を誰も知らないと思うと、口笛でも吹きたい気分……しかし、ここに至るまでがたいへんだった。
年齢がひっかかるのだ。八十歳を過ぎた女性が一人というと、いつ倒れてもおかしくない。まして死亡したら次の借り主にも影響がある。いくら現在元気で仕事をしていてもいつどうなるか? ということらしく、事務所で借りたのだが、再び部屋探しとなるとまたいやな思いをしなければならない。
そう思っていたところ、たまたま、私が友人に貸していた部屋が空くことになって、そこへ移ることにしたのだ。
いくら荷物は少ないといっても引っ越しは面倒だ。昔は二年くらい経つとムズムズして、どこかへ変わりたくなったが。父が転勤族でほぼ三年おきに子供の頃は転校していた。それが身についていた。
瀬戸内寂聴さんも引っ越し魔でしばらく同じ所にいると、手垢がついて汚れた気がして変わりたくなると言っていたが、よくわかる。私も成長してからも転校生の気分が抜けない。ただ加齢による疲れとめんどくささに引っ越すことが徐々に減っていた。