プーチン氏(gettyimages)
プーチン氏(gettyimages)

 ロシアの第2次世界大戦での対独戦勝記念日にあたる5月9日、プーチン大統領は演説で戦争宣言を行わなかった。だが、「ウクライナ」の国名を1度も使用しないという大きな変化が見られた。プーチン氏の意図とは。AERA 2022年5月23日号から。

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 約10分にわたる演説の中身は、徹頭徹尾内向きだった。戦勝の歴史や意義にはさらっと触れただけで、ロシアによるウクライナ侵略を正当化し、国民に支持と団結を呼びかける内容に終始した。

 米国やNATOが後押しするネオナチの脅威との衝突は避けられなかった、先んじて対応する以外の道はなかった、といった理屈自体は、2月24日に「軍事作戦」開始を発表したビデオ演説の繰り返しで、目新しいところはない。

 ただ一つ、大きく変わったところがある。2月の演説で19回も繰り返した「ウクライナ」という国名を、今回は一回も使わなかったのだ。代わりに使われたのが「我々に隣接する地域」「我々の国境近く」といった表現だ。プーチン氏が「ウクライナ」を意図的に避けたことを疑う余地はない。

 その大きな理由は、ウクライナに侵攻したロシア軍が予期せぬ頑強な抵抗に直面したという現実にあるだろう。

 開戦時の演説でプーチン氏は、ウクライナ軍人に対して、現政権の「犯罪的な命令」には従わずに、武器を置いて家に帰るよう呼びかけた。ウクライナ国家やウクライナ人の利益を損なうつもりもないという考えも強調した。

「ネオナチ」政権と、「正しい」ウクライナ国民を区別して、後者はロシアとの友好的な関係を望んでいると信じていたのだろう。

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 ところが、いざ戦争をはじめてみると、武器を置く兵士も、ロシアを歓迎する一般市民もいなかった。プーチン氏は4月12日になってから「その後の展開は、ネオナチ思想がいかにウクライナに根を張っているかを示している」と述べた。「ロシアに従順な正しいウクライナ」など幻想にすぎなかったという現実に直面したのだ。

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駒木明義

駒木明義

2005~08年、13~17年にモスクワ特派員。90年入社。和歌山支局、長野支局、政治部、国際報道部などで勤務。日本では主に外交政策などを取材してきました。 著書「安倍vs.プーチン 日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか」(筑摩選書)。共著に「プーチンの実像」(朝日文庫)、「検証 日露首脳交渉」(岩波書店)

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