山口:劇団四季の稽古場って、当時は外からの音も聞こえるくらいでしたからね。そうそう、その参宮橋で両親が一緒に暮らしていて、父親が大学を卒業するときに山口祐一郎クンが生まれたんですよ。でも、祖父は鹿児島で土木関係の会社を経営していた人。父親はそこの跡取りだから、「大学を卒業したとたんに子どもだなんて、このバカヤロー! アメリカの大学に行ってこい!」と言われちゃった。それで、父親はひとりで、カリフォルニア大学のバークレー校に留学させられたんです。

林:当時はすごいことですよね。

山口:それからもいろいろとあって両親ともどんどん代わって、それで5人。ミュージカルを始めるきっかけになったのは音大を出た4番目の父親でした。実は僕が高校生のときに、その人が僕の声を聞いて「ちょっと声を出してみな」って言うんです。学生のときは剣道ばっかりでしたから、歌なんか一度も歌ったことはなくて。剣道で「ウワー」って掛け声はずっと出してましたけどね。そう言われて声を出したら「すごい! 歌やれよ。そんな“楽器”めったにない」って言われたんです。

林:ええ、ええ。

山口:じゃあやってみようかと思って、そのころ岩崎宏美さんが出ていたテレビの番組があったんです。そこに応募して受かったら仕事にしよう、落ちたらサラリーマンになろうと思ったんですけど、応募して一回歌ったら受かっちゃったんですよ。

林:すごい。

山口:受かったら、そのテレビ局が音楽の学校に行かせてくれるんですが、そこの音楽の先生が劇団四季の作曲をされていて。その方が「ミュージカルのほうに行きなさい」とおっしゃって、浅利(慶太)先生のところに連れていってくれたんです。

林:まあ、そうだったんですか。私、劇団四季の「キャッツ」の初演(1983年)見ましたよ。山口さん、ラム・タム・タガーをやったんですよね。私、そのときお手洗いに行ったら、私に気づいた若い女の子が「山口祐一郎さんステキでしょう? 林さんのいちばんのタイプだと思いますよ」ってコーフンして言うんです。それで私は「山口祐一郎さん」というお名前を知ったんです。

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