ドネツ川でのウクライナ軍の攻撃もまさにロシア軍のチョークポイントを狙ったものだった。
ウクライナは、戦争が始まるかなり以前からロシア軍の侵攻ルートを予測し、河川などの自然防御線をどう生かすか「綿密に練り上げてきたに違いない」と石津さんは推測する。
その典型的な例が、首都キエフの攻防戦だった。2月24日、ロシア軍の侵攻直後にウクライナ軍はキーウ北側を取り囲むように流れるイルピン川の橋を爆破。さらにこの川のダムを放流し、周辺を水浸しにした。水攻めによる足止めもあり、ロシア軍の戦車部隊はついにキーウに入ることなく退却した。
■架橋や水攻め「工兵部隊」
水攻めは日本の戦国時代においても、城郭の攻略などで行われてきた。
「戦国時代の日本や中世のヨーロッパの城や要塞というのは、その一角か二角にうまく河川を利用しています。大川(旧淀川)や寝屋川を生かした大阪城はまさにそうです。その城を攻めるために、川をせき止め、堤防を決壊させる水攻めなどが行われました」
戦国時代で水を使ったもっとも有名な攻城戦といえば、足守川の流れを引き込んで包囲した「備中高松城の水攻め」(1582年)だろう。一方、イルピン川を溢れさせ、ロシア軍を足止めしたキーウ攻防戦は、その逆のパターンだった。
備中高松城攻めは、治水など土木工事に精通した羽柴秀吉がその腕前を発揮したものだったが、現代の戦場で活躍するのが「工兵部隊」である。
「どうやって川を渡るかというと、土木エンジニアの集団である工兵部隊が出て行って、冒頭のロシア軍の浮き橋のように、川に即席の橋を架ける。さらに工兵部隊は敵が迫ると橋を爆破して追撃を防ぐ。それを直すのも彼らです。重要な役割なので、どこの国の軍隊でも工兵部隊にはかなりの人数が配置されています」
何度も戦争を続けてきた欧州諸国にとって、川をめぐる攻防がいかに重要であるかを示す“部隊”となっている。
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)
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