哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

哲学者 内田樹
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 ミン・ジン・リーの小説『パチンコ』がドラマ化されて、配信されている。日韓併合の頃の釜山の漁村から始まる一人の韓国人女性の一生を描いた話である。シリーズ1の終わりまで観(み)た。質の高いドラマだと思う。気になるのは、日本社会で生きるコリアンたちの苦闘を活写したこの物語について日本のメディアがほとんど論及していないことである。

 李氏朝鮮末期から日本の敗戦による植民地支配の終わりまでの朝鮮半島を舞台にしたドラマや映画は韓国ではすでに多く作られている。日韓併合や植民地時代のレジスタンスを素材にした「ミスター・サンシャイン」や「シカゴ・タイプライター」はNetflixで世界に配信されて多くの視聴者を獲得した(どちらも面白かった)。

 むろんどの作品でも日本人は迫害し、収奪する「ワルモノ」として描かれていることに変わりはない。それでも作品ごとに両国のはざまにあって葛藤する人々の相貌(そうぼう)は深みを帯びてきている。話を単純な「勧善懲悪」に落とし込むだけでは済まないということを隣国のクリエーターたちは理解し始めているように思われる。

 翻ってわが国にはこの時代の朝鮮半島の歴史的出来事を素材にした「娯楽作品」を作り上げる動きが見られない。大院君や閔妃や金玉均や福沢諭吉や内田良平や宮崎滔天が出てくる群像ドラマがあれば、この時代の半島情勢が「善玉悪玉論」で説明できるほど単純なものではないということを視聴者は知るはずである。両国の人々の葛藤と混乱、真率な素志と悲惨な結果の落差を知って、「誰の言い分が正しいのかわからなくなった」という感想を得るだけでも、歴史について何も知らないよりはましである。

 韓国は「隣国日本とのかかわりの歴史をエンターテインメントとして物語る」という事業にすでに四半世紀にわたって取り組んでいる。日本は何もしていない。両国民が過去を振り返った時、そこに見えるものの「解像度」にはすでに歴然とした差が生じている。「自分たちはかつて隣人にとって何者だったのか」という問いをネグレクトした日本人に果たして外交というような難事業が果たせるのか。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2022年5月30日号