写真はイメージです(Getty Images)
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作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、AV被害について。

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「女性向けのポルノ」を創ってみたい。

 そう思い立ち、「エロ本」会社で8カ月ほどアルバイトしたことがある。1990年代半ばの頃だ。結論から言えば、「女性向けポルノ」に関わることはできず、男性向けのAV情報誌の編集部で編集見習いの仕事をしていただけの日々だったが、この時期に私は「AV女優」と呼ばれる女性たちに数多く出会った。

 私の仕事はAVメーカーを訪ねて「今月の新人女優」の情報をもらうこと、グラビア撮影現場でのありとあらゆる雑用に走ること、AVのレビューを書くこと……などだったが、慣れてくるとAV女優のインタビューに同行させてもらうこともあった。

 当時の私は、AV女優は「性の表現者」だと思っていた。若い女がそう信じ込むだけの時代的文脈はそろっていたと思う。文化人と呼ばれる男性たちがこぞってAVを「カルチャー」として語りたがっていたし、テレビではAV女優がもてはやされていた。中には積極的に性を語る言葉を持ち、自己プロデュースに長けているAV女優もいた。陰毛や性器へのモザイクはかつてないほど薄くなっていき、「性表現の解放」なんてこともマジメに謳われていた。

 なにより大学院で性教育を学び、フェミニズムを勉強し、女性が性を自由に主体的に楽しめるものになればいい……と考えていたフェミニストの私は、AVに出てくる人を尊敬していた。「性を表現したい人がAV女優になる」と信じていたのだ。

 もちろん、現実はそういう「思い込み」を簡単に裏切るものである。1年にも満たない見習いの仕事のあいだ、私は笑っているAV女優に会ったことがなかった。「なぜAV女優になったんですか?」と聞くと黙り込む女性たちも珍しくなかった。丸1日かかるグラビアの現場で、一言も言葉を発しない女性もいた。私の短い経験を普遍化するつもりはないが、「性の表現者」という「イメージ」が壊れるのは本当に早かったことを思い出す。

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「セックスワーク論」という考えの中で