元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【写真】「バラ屋敷」と勝手に名付けているお宅。最盛期には皆が思わず立ち止まるもはや名所
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会社を辞め今の小さな部屋に引っ越してから、銭湯が我が風呂、ブックカフェが我が本棚……と脳内で勝手に我が家を拡大して「豪邸暮らし」を楽しんでいるんだが、この方法は実に有効で妄想はとどまるところを知らず、もうすっかり近所全体が庭に見えてきたりして。
今、我が庭はバラの季節でございます。
この妄想生活で初めて知ったんだが、世の中にはバラを丹精して育てている人が実に多い。5月に入る頃から歩いているとそこかしこから天使のごとく甘い香りが漂って、顔を上げるとたわわに咲き誇る赤やピンクや黄色や白のゴージャスなバラがバーンと。そりゃもう見事なもんです。しかもこれが案外とパッと咲いてパッと散る。この一瞬のために我が庭師たちは延々と世話をしてくれていたのだと思うと気分はどこぞの令嬢である。
で、ふと考えたんだが、これっていわゆる「借景」ってやつに近い。20代の頃、京都に勤務して初めてこの言葉を知った。遠くの山などの景色を庭の一部であるかのように利用する造園法。ええ~そんなちゃっかりしたやり方が……と感心したものだ。その驚きが今の暮らしに生きている。
最近凝っているのは「借景」ならぬ「借家」。といっても本当に家を借りるわけじゃなく、頭の中で借りるのだ。具体的には、私には近所に憧れている一軒家が約3軒ありまして、いずれも庭に大きな木があり緑に埋もれるように立つ小さな古い家。いいよなあこんなとこでシェアハウスとかして暮らしたいなと妄想するも、むろん住んでる方がおられてそういうわけにもいかず。で、ふと思ったんです。本当に住まなくても、その家を横目に見て、その景色を頭の中で保存して我が小部屋に帰れば一緒じゃないかって。木に囲まれて寝ているように想像して眠れば良いのだ。そうだよ一軒家って案外暑さ寒さが厳しいし、掃除も庭の手入れも大変っぽいし。
ってことで今の暮らしが結局最高じゃんという結論に達したのだった。
◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年5月30日号