話がそれたので健康の話に戻そう。生来が面倒臭がり屋だから、ちゃんとした健康管理はできていない。自転車ばかりで歩くこともしない。睡眠は得意ではないが、細切れで、6、7時間眠っている。食事は規則正しく、加齢と共に食事の量はうんと減ってきたが、週一度は自宅でステーキを食べる。あとは終日アトリエで、絵を描いているが、天気のいい日はバルコニーでぼんやり森の樹木を眺めながら太陽の光を浴びて、無為な状態で極力、何も考えない時間を多く取る習慣を日常としています。何も考えない時間は創造に不可欠だ。特に瞑想などはしないけれど、何もしないことをする無為な時間は至福の時間である。読書好きの人と同じように僕は本を読むかわりに何もしない、ただぼんやりとする時間が好きだ。昔、禅寺に参禅していた経験があるので、考えない時間には慣れている。若い頃はいつも何かしなきゃという強迫観念に追われていたが、老齢になるに従って何もしない時間に至福の快感を得るようになった。老齢になると時間の経つのが早いとよく言われるが、僕は全くその反対で、時間の進行が実に遅い。この年になると好奇心もなくなる。また欲望も必要としなくなる。若い頃は欲望に振り廻されるので時間がいくらあってもたりない。時間の長短は欲望の質量によるように思う。

 僕の場合、絵を描くということは別に欲望でも好奇心からでもないので、他に好奇心らしいものを探しても何もない。旅行がしたい、芝居や映画が観たいとも思わない。過去の経験を回想しながら、その記憶を吐き出せばいいと思っている。そして絵さえ描いていれば健康が維持されるように思っている。今は息切れと足の膝の痛みに悩んでいるが、これも老化現象だと思えば、さほど気にもならない。どこかに出掛ける仕事の依頼があるが、外出はあんまり気乗りしないので、出来ればジッとアトリエにいる方がいい。はたから見れば面白くない生活に見えるかも知れないが、絵が描ける以上、これより興味のあるものには出合わない。もう海外旅行も10年近く、どこにも行っていない。別に行きたいとも思わない。僕にとっての楽園は結局、キャンバスを窓にして、その奥に未知の世界を訪ねる、そんなことが僕の晩年の歓びってことかな。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年6月10日号

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