ある日の食卓。アルコール性の認知症になってから、料理は私が担当し、朝のうちに用意しておいた夕食を一緒に食べる(photo:朝日新聞社・永田豊隆)
ある日の食卓。アルコール性の認知症になってから、料理は私が担当し、朝のうちに用意しておいた夕食を一緒に食べる(photo:朝日新聞社・永田豊隆)

 ただ、「学ぶ」「つながる」は、いってみれば対症療法に過ぎない。本当に変わらなければならないのは家族でなく、社会の側だ。偏見をなくして相談のハードルを下げ、今は家族が担わされているケアの負担を社会全体で担わなければならない。まず、支えの「すき間」をなくすことから始めてほしい。

 拙著を読んでくださった方から、「愛がなければできない」と過分な言葉をいただくが、これは愛でなく人権の問題だ。愛に頼る介護は心もとない。愛があろうがなかろうが(もっといえば家族がいようがいまいが)、当事者の生きる権利は守られなければならない。

「この本が私みたいな人の力になればいいな」。妻は認知症になった今も、拙著に込めた思いを忘れていない。その思いを社会に届けたい。

(朝日新聞記者・永田豊隆)

AERA 2022年6月13日号より抜粋