TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。本土復帰50年特番で出会った歌人・屋良健一郎さんについて。
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本土復帰50年特番の取材で、沖縄出身のシンガー・ソングライター普天間かおりさんと、沖縄の戦後史を短歌で詠んできた平山良明さんを訪ねた後、平山さんより2世代下の歌人、38歳の屋良健一郎さんの話を聞いた。
屋良さんは県内の高校を出て東大に進み、現在は名桜大学で沖縄短歌史を研究している。上京し、外から見る沖縄を知った。基地がある経済的メリットや基地があることで守られているという友達の話が新鮮だったという。
「沖縄戦にしても小中高と平和教育を受ける中で、日本兵が沖縄に酷いことをしたという話に日本兵に対する憎しみみたいなものがいろいろ語られてきたと思うんですが、もちろんそういう酷い行いをした人も少なくなかったけれど、日本兵に助けられたとか優しかったとかの話が書かれた文章もあったり、自分が今まで信じてきたことではない、知らなかったことが出てきて、ちょっと揺らぐっていうか、どう考えていけばいいか迷ったり、そういうのがありました」
屋良さんの世代は生まれた時から基地があり、当たり前の風景だった。
「基地への違和感というのは少ないかもしれない。平山さんのように戦争を体験された世代で、基地がない時代を知っていて、基地が作られていくのを見てきた人たちは基地に対する思いは非常に強い。思いの強さではかなわないという気はします」
若き歌人屋良健一郎は揺れ、悩んだ。短歌を通じて知り合い、結婚した佐藤モニカさんには「酔ひ深き夫がそこのみ繰り返す沖縄を返せ沖縄を返せ」の短歌がある。夫の屋良さんが普段見せない沖縄人として悔しさや怒りに触れたことを詠んだ。
今、屋良さんは語る。「(帰郷して)沖縄で暮らしていく中で基地をめぐる問題の圧迫感というか閉塞(へいそく)感があって、自分が沖縄の人、うちなんちゅうとしての自覚みたいなものが年齢とともに高まってきた気がします」