ちなみに「余命投票制度」は、たかまつさんのオリジナルではなく、10年前に日本の経済学者がそのままの名前で提案している投票制度のようだ。たかまつさん自身の提案のように番組では語られていたが、そういう「考え」がもう10年も前からあったこと、そしてそれを本気で20代が「良きこと」のように提唱するような時代になってしまったということなのだろう。
人の命を「ポイント化」する人権感覚の欠如にあきれるが、それでも「投票しても自分の声が通る気がしない」という不安やいら立ちは、とてもよく分かる。私自身、選挙権を得てから30年経ったが、自分の一票が通った選挙など、ないに等しい。だいたいフェミニストが投票できる政党も候補者も、ほぼ存在しない。自分でもなぜ投票にマジメに行き続けているのか分からない。
余談だが、私は2014年に事務所に置いていた女性器を模した作品を陳列していたために「わいせつ物陳列罪」で逮捕され拘束された経験がある。私が拘束された週は、ちょうど衆議院選挙真っただ中だった。「しばらく家には帰れない」と警察で言われたときに、「え? 選挙はどうなるんですか?」と言ってあきれられたのを思い出す。「そんなこと言ったの、あんたが初めてだ」「護送車で行くことになる。縄を付けられながら投票することになる。かなり目立つがいいか?」(実際には不在者投票できることが後でわかった)とも言われたが、「行きたいです」と主張した。結果的には3日で拘束を解かれたので、縄付きで投票せずにすんだのだが……何が言いたいかといえば、それくらい私はマジメに投票してきたのだ。
負けることが分かっている。それでもなぜ投票に行くかといえば、やはり諦めたら負け、と思っているからだろう。「投票率が低ければ低いほど」、既存の政党、お金のある政党、組織の強い政党が勝ち続けることになることが分かっているからだろう。そもそも日本の選挙は投票率が低い。もし投票権のある女性100%が選挙に行けば……もし20代が全員選挙に行けば……、少しでも投票率が上がれば……「私の声」も通るんじゃないかという希望があるからだ。