
ある傷害事件の容疑者スズキタゴサクは、取り調べ中、秋葉原で「何かが起こる」と予告する。まもなく爆破事件が発生した。動揺を隠せない警察に、スズキは「次は1時間後に爆発する」と告げる。被害を食い止めるには、スズキの出す“クイズ”から何らかのヒントを得るしかない。この得体の知れない男と警察の心理戦が始まる──。
『爆弾』(呉勝浩著、講談社 1980円・税込み)は『白い衝動』や『スワン』をはじめ、人間の心の深淵を描くミステリーを発表してきた呉勝浩さんの、本領発揮とも言える重厚な小説だ。
「爆弾テロとクイズという図式は『ダイ・ハード3』から思いつきました」
と語る呉さんは、さまざまな映画から影響を受けてきたという。いがぐり頭にたるんだ頬、中年のビール腹とさえない風貌ながら、巧みな言葉で一流の警察官たちを翻弄するスズキ。その不気味さは「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターのような、サイコ・サスペンスの名作に登場する人物を思わせるところもある。
「ただ、レクター博士の場合は、教養や身体能力の並外れた高さもあり、そこに“悪の魅力”を覚える人も多い。私はそれとは対照的な“不快な悪”を描きたいと思いました」
スズキは、下品な愛想笑いと自虐に満ちた話しぶりで、対峙する警察官たちの不快感を誘発する。しかし、彼の口から出る「人間の価値は平等なのか」「殺人は悪なのか」といった問いかけは、次第に警察官たちの負の感情を引き出していく。
たとえばある刑事は、等しく「被害者候補」であるはずの爆弾に狙われる人々が、自身にとって身近な属性か、他人でしかない属性かによって自分の態度や心の負担が変化していることに気づき、愕然とする。
長谷部という刑事の存在も重要だ。部下に慕われる優秀な刑事だった彼は、犯罪が行われた現場で自慰行為にふけるという習癖を週刊誌に暴かれ、自ら死を選ぶ。こうした倫理から逸脱した行動や思いは、多かれ少なかれ登場人物すべての心の中にあることが示唆される。