何とか無事に朝になり、長女を大学病院へ連れて行ってくれました。持参する荷物は、前日に私がほぼ用意していたのですが、夫はなんと、朝まで使っていた人工呼吸器のマスクを入れ忘れ、車で片道1時間の道のりを2往復して取りに帰ることになったそうです。レスパイト当日の朝、長女が起きて人工呼吸器を外した後に、呼吸器本体とともに接続されているホースやマスクを荷物に入れるのは私の中では当然で、特に何も伝えていなかったのですが、夫にとっては当然ではなかったようです。詳しく聞いてみると、荷物に予備が入っているのが見えたため、病院ではそれを使うと思ったとのこと。我が家の夫は在宅時には協力的であるものの、多忙のため、あまり育児に関わることができません。こんなところでもワンオペ育児の影響が出るんだなぁと、自分のことながらしみじみと思いました。

■15年前は双子を両実家へ

 子どもたちが生まれてから私が入院するのは2回目です。1回目は、息子の妊娠中に安静入院が必要になった時でした。当時、双子の姉妹は1歳4か月。修正月齢(※早産児の成長発達を見るために出産予定日から修正して計算した月齢)では1歳1か月でした。まだ健常の次女も歩けず、双子はひとりずつ双方の実家に預けられ、障害のある長女に手がかかるので、週に1度のリハビリの日に二人を交換することに決まりました。

 私の母は毎日預かっている方の子どもを連れて着替えを届けに来てくれました。いろいろわかり始めた次女が、私ではなく母の抱っこを求めたり、「バイバーイ」と言いながら笑顔で手を振って帰っていく姿を見て、私を追って泣かれるよりずっと良い のだと思いながらも、やはり切なくなりました。今後、自分が母親だと思ってもらえなかったらどうしようと、次女と離れるたびに悲しくなったものです。

 結局入院は出産まで4か月も続き、私が退院した時にはすでに次女は離乳食を卒業し、大人と同じものを食べていることに驚きました。私の母も義母も、時間も体力も余裕があったからこそできたのだと思います。離れているうちにしっかりと育ってくれた双子を見て、両家の両親に感謝しました。当時は夢中で過ごした期間でしたが、振り返ってみるとこれも良い思い出です。

■次女・長男は普段通りに 

 さて。現在の我が家はというと、今回私が入院した日は次女と息子の定期テスト中でした。

 親としては、大切な時に体調を崩してしまい申し訳なく思いましたが、次女は高1、息子は中3と難しい年頃のため、どうやらうるさい母(私)がいない方が自由に過ごせて良いようです(笑)。私の両親と二世帯で暮らしていることもあり、特に困ったこともなく、普段通りに生活しているようすを見ると、本当に大きくなったんだなぁと実感しています。

 息子の妊娠時の安静入院以来、15年ぶりの入院。

 あと数日。のんびり過ごそうと思います。

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○江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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