考えてみれば不思議である。10代の少女が客(主に成人男性)に酒をつぎ、昔ながらの酒の席の遊びを客と興じる現実が批判的に報じられることはなく、むしろ「彼女たちの夢」視点、さらには「京都の伝統を守る」視点で描き続けられることに。少女たちの夢は尊いが、夜のお座敷に向かう姿をそのまま手放しで応援はできない。夢を利用するな、とも思う。
花街の伝統伎芸の保存・継承を目指す公益財団法人「京都伝統伎芸振興財団」のHPには、舞妓さんの一日の過ごし方が記されている。そこには
「お座敷は毎晩のようにあり、深夜に及ぶこともしょっちゅうで、帰ってから後片付けなどすると、床に就くのは午前1時を回ってしまうということもよくあることだそうです。なかなかハードですね」
と明るい調子で記されている。「なかなかハードですね」というか、かなりやばいですね……という“正論”が通じないのも、“伝統”という治外法権がなせる業なのだろうか。
それでも、強い決意と勇気をもって当事者の#MeTooが出た以上、少なくとも「少女の成長物語」としてのキラキラとした「舞妓さん」語りは今後、これまでのように垂れ流せないのではないか。「伝統」が「人権」に優先させられることへの疑問の声は大きくなるべきだし、そもそもその「伝統」って、そうとう性差別が入っているし……。Twitterであげられた声に、社会がどう応えるかが問われるだろう。
今、性被害や性搾取が被害当事者たちの声によって、重大な社会問題になりつつあるのを実感する。「当たり前にあった」とされるものの中にひそむ暴力や差別が、当事者によって白日の下にさらされてきているのだ。
私は自身が性産業に関わってきたなかで、日本のAV産業を含む性産業がどの国よりも広範囲に細分化され、環境のように日常化しているのを見てきた。「性産業を禁止すれば闇が増えて危険だ」という声もあるが、性産業を合法化した国での非合法の性搾取が増えている現実がある。「買春するのが当たり前」という今の日本社会が、若年女性をリスクにさらしている。ジェンダー平等先進国の北欧などでは、売る側ではなく、買春者と業者を処罰する法律がつくられているが、日本はその方向に向かえるだろうか。「性」を巡る「ビジネス」について、そろそろ日本社会も真剣に議論するときがきたのかもしれない。