何度も言うが心筋梗塞によって死ぬのが怖いのではなく、あの激痛がイヤで、もし、あの時絶命したとすれば、それが僕の宿命だったと思うだけだ。そりゃまだ生きておれば絵が何点か増えるでしょうが、そのために延命は必要ないような気がしていた。第一まだ絵を描くなんて結構面倒臭いことなんです。この欄で何度も語っているが、本当にとっくに絵は飽きているんだから、一点、二点絵を増やすために生き続けたいとは思わない。死ぬ時が来れば死ぬのもそう悪くないと思えた。昔から肉体が霊魂に変わって生きることが死だとかなり強硬に考えていたので、この三次元の物質世界から、四次元だか、何次元だかの異次元に移って、そこで、三次元で味わえなかった生の感覚が新たに体験できるかと思うとまるで宇宙のオデッセイの旅じゃないですか。まるで悟ったような、夢みたいなことを言っていると思われているかも知れないけれど、僕は「シン」から人間の本体は霊だと思っているので肉体の死は、此岸から彼岸へ、稲垣足穂だったか誰だか忘れたけれど死はフスマを開けて隣の部屋に行くようなものだと言ったけれど、上手いこというなあ、それは本当にそうだと思う。

 今回の心筋梗塞で、死の入り口を垣間見たような気がしたが、実に貴重な体験をさせられた。そして、この体験によって一歩、死が身近なものに思えた。

 それも、これも、86歳という年になると、命など、それほど惜しいとは思わなくなっていくものだ。それは老齢が生に対して執着がなくなっていくからだと思う。と同時に次の領域に入っていくことの愉しみになっていく、これは「シン」に事実です。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年7月29日号

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