『大英博物館所蔵 未発表版下絵 葛飾北斎 万物絵本大全』
Timothy Clark著
樋口一貴 監訳
長井裕子・村瀬可奈 訳
朝日新聞出版より4月25日発売予定
浮世絵師葛飾北斎(一七六〇~一八四九)が、いやHokusaiが世界で最も知られている日本人であることは衆目の一致するところだろう。日本国外における北斎研究の拠点の一つ、大英博物館では、昨年九月三十日から本年一月三十日にかけて、一件の作品に焦点を当てた展覧会「Hokusai: The Great Picture Book of Everything」を開催し、同館名誉研究員であるティモシー・クラーク氏の執筆になる図録も出版された。その日本語翻訳版がここに紹介する『大英博物館所蔵 未発表版下絵 葛飾北斎 万物絵本大全』である。その作品は、一九四八年にパリのオークションに出品されたのち所在が不明となっていたが、二〇一九年に再び出現し大英博物館に収蔵され、公開されたのである。
『万物絵本大全』は実際には刊行されることがなかった版本である。しかし、北斎が準備した版下絵が現存している。版下絵とは浮世絵版画や版本挿絵のための下絵である。こうした版画製作は出版者である版元の統括の下に絵師・彫師・摺師の分業で行われる。絵師が描いた版下絵を、彫師が板に裏返しに貼って版木を彫り、摺師がそれを摺る。つまり、版木が作られる時点で版下絵は消滅するのだ。しかし、この『万物絵本大全』は何らかの事情で出版されず、北斎の版下絵が遺っているという非常に珍しいケースである。
版下絵には下絵ならではの生命力が宿っている。一図一図に北斎自身の生の筆跡をたどり、その息づかいを感じ取ることができるのだ。それと同時に、下絵でありながら北斎画の高度な芸術的完成度を顕示している。
クラーク氏の論考によれば、大英博物館所蔵の一〇三点の版下絵と、かねてより知られていたボストン美術館の版下絵一七八点はともに、巨大な規模の絵入百科事典『万物絵本大全』の版下絵の一部であった可能性が高いという。出版計画が途中で頓挫したため、その全貌はうかがい知れない。ただし、北斎は六十歳代から八十歳代まで断続的にこの仕事に取り組んでいたと推測されるので、どれだけの大事業であったかを想像するよすがにはなるだろう。
北斎の大規模出版物としては、一八一四年から北斎死後の一八七八年まで刊行された全十五編の『北斎漫画』が知られている。しかし『北斎漫画』は体系だった図像集ではない。各地の門人や絵を学ぼうとする者のための「絵手本」であり、「漫ろ」という言葉が「何ということもなく、心がそちらに動いてゆくさま」という意味を持つように、漫然と描きつづったものであった。全編を貫く構想や、項目からなる目次があるわけではない。
さて、東アジアにおける絵入百科事典的な書物の源流を遡ると、古くは『山海経』の名前が挙がってくる。中国古代の戦国時代から秦・漢にかけて加筆されて成立したものと考えられているが、土地土地の動植鉱物や空想的な妖怪や神々を土地ごとにまとめている点で、百科事典ではなく地誌に分類されるスタイルなのである。
知を部門別に分類して項目をたてる百科事典的な編纂のコンセプトに則した書物では、明・十七世紀に出版された『三才図会』がある。これに触発されて日本でも一七一二年に『和漢三才図会』が成立した。これを遡る一六六六年に日本最初の絵入百科事典とされる『訓蒙図彙』が刊行され、その後内容を充実させながら一六九五年に『頭書増補訓蒙図彙』が、北斎三十歳の一七八九年には『頭書増補訓蒙図彙大成』が刊行されている。
北斎の『万物絵本大全』もこうした絵入百科事典の系譜上に位置するが、しかし、日本の同類の書物と顕著に異なる点もある。それは大英博物館本におけるインドと中国画題の版下絵の割合が大きいことだ。中国画題が多いことは源泉を考えれば然りといえるが、さらに西のインドにまで範囲を拡げているのは珍しい。
日本と中国とインドを合わせて三国と呼ぶ例は鎌倉時代の『平家物語』に用例があり、これは全世界の意であった。『万物絵本大全』の特徴ともいえるアジアを覆う国際性は、まさに世界のすべてを描き尽くそうとするヴィジュアル百科事典を意識したものだったのである。
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