『はやぶさ2のプロジェクトマネジャーはなぜ「無駄」を大切にしたのか?』
朝日新聞出版より発売中

 まるで昨日のことのように思い出します。2020年12月6日、小惑星探査機はやぶさ2が、6年間、52億キロメートルの宇宙飛行を終え、地球に無事帰還した日のことを。地球帰還カプセルを開封して目の当たりにした小惑星リュウグウの大量の星のかけらには、言葉が出ませんでした。胸の内に広がったのは、えもいわれぬ安堵と達成感。はやぶさ2プロジェクトは、私たち当事者も驚くほどの完全成功でした。

 簡単だったから? いえいえ。その道程は壮絶な試練の連続でした。場所もよくわからない天体への到達。せっかく到着したリュウグウが険しすぎて着陸不可能と分かった中、もがき苦しみながらも、1度ならず2度の着陸に挑戦。さらに地表移動探査ロボットによる探査や、人工クレーター作製など、数々の世界初を試みました。

 はやぶさ2チームは、それらを次々と、芸術作品のようなチームワークで成功させたのです。

 600人で成し遂げた大成功。結果から見ると、はやぶさ2チームは、怖いものなしの集団に見えるかもしれません。どんなにひどい局面に遭遇しても必ず突破口が開かれる、新しいアイディアが湯水のように湧いてくる、絶妙なタイミングでヒーローが生まれ、見計らったように新しい技術が完成する。まるで魔法にかかったように。

 確かに、このチームを率いることになった時、私はそういうチームを目指しました。リュウグウは文字通り人類未踏の地。人間の想像の範囲で済むはずがありません。はやぶさ2は最強のマシンで、完璧に動作すれば必ずリュウグウを攻略できる、そんな考えは自惚れが過ぎます。想定外が起きないわけがありません。だから想定外の状況に臨機応変に対処できる最強のチームを作りたい。そのためには、「魔法にかかったチーム」に切り替わるスイッチをどうしても見つけ出さないとと、焦燥に苛まれながら必死にもがきました。

 その“スイッチ”をどのように見つけたかの経緯は、ぜひ拙著をお読みください。

 私がチーム作りで大切にしたことは、一言でいうと「無駄」でした。かつて対談した東京大学社会科学研究所の玄田有史先生が面白いことを言っておられました。私が「想定外を想定できるチームになるためには、“無駄”に価値を置くことだと思う。でも、“無駄”はビジネスではネガティブな言葉ですよね。もっと学術的で前向きな言葉はないものでしょうか」と問うたところ、それは「うろうろ」ですねと。意外と非学問的な言葉で、ずっこけてしまったのですが、いいかもしれない!と思いました。

 日本は災害が多い。災害時にはどうしても混乱が生じる。しかし、ときに非常に整然と、まるですべてを掌握しているように、想定外の事態にうまく対応する集団(自治体や小さな地域コミュニティ)があるのだそうだ。そういう集団をよく調べると、共通項として、その集団の構成員が、防災について常々雑談したり、小さなやれることで力を出し合ったりしていたのだそうだ。一人のカリスマが引っ張るわけでもない、全員が始終真剣なわけでもない。でも、その集団には常時、防災という課題のまわりを「うろうろ」する人が一定数いたのだそうだ。この一見無駄な人数が、無駄な寄り道をたくさんしながら、リラックスした状態でちょっとずつ、でも、いつも話し合い、手を動かしている。これが、危機に際して、しなやかに立ち回れる集団の特徴なのだそうです。

 なるほど、はやぶさ2のチーム作りで私が心掛けていたのは、チームメンバーが「うろうろ」できる余白をいかに作るかだったのだと、膝を打つ思いでした。

 昨今、効率化や人員削減、コストカットが美徳とされていますが、そうやって無駄を削ぎ落とすうちに、仕事から人間味を完全に削ぎ落とそうとしてはいないでしょうか。科学技術は属人性を排することを一つの究極の目的としています。しかし、その科学技術を、現代の世の中で、人間が手掛ける事業として成功させるには、モチベーションや面白さ、責任感といった人間味の要素とどう調和をとるかが重要だと思うのです。不確実性が高い世の中で想定外の事態に対処する最後の砦は「人間味」であり、「人間味」を事業に埋め込む処方箋が「無駄」もとい「うろうろ」ではないでしょうか。

 世の中のビジネスに絶対成功の方程式などないでしょう。しかし限りなく成功確率を100%に近づける技法は存在します。はやぶさ2の足跡が、拙著を通じて、そうした技法発展のヒントになれば幸いに思います。