『御坊日々(ごぼうにちにち)』 畠中 恵 著
朝日新聞出版より発売中
本書には作者の新しい面を探る楽しみが詰まっている。中でも最大の楽しみは、舞台設定にどんな妙手を打ってくるか、と題材の選定にどんな新機軸を出してくるか、である。作者は二十巻目が刊行された超人気シリーズ「しゃばけ」を始めとして「まんまこと」、「つくもがみ」などの妖怪や妖を独特の手法で再現したシリーズものを精力的に書き継ぎ、現代の戯作者としての実力を示してきた。2011年に発表した『ちょちょら』から作品領域の拡大に挑戦し、『けさくしゃ』『うずら大名』『まことの華姫』『猫君』『わが殿』といった独自性の高い題材の作品を手掛けている。特に興味深いのは2013年に発表した『明治・妖モダン』と、続編にあたる『明治・金色キタン』である。2008年に発表した『アイスクリン強し』、同シリーズ『若様組まいる』と同じ明治ものだが、時代を見据えた歴史観をベースにした物語の構築に新しさがある。 では本書ではどんな物語と会えるのだろう。それを見ていこう。舞台は「明治・妖モダン」シリーズとほぼ同様、明治20頃。但し、作者の代名詞ともいえる妖は気配を消した。これも新機軸の重要な一石である。
明治20年にはどんな意味が込められているのか。『明治・金色キタン』の冒頭にこんな記述がある。<この東京の地は昔……いや、ほんの二十何年か前まで、確かに江戸と呼ばれていたのだ。だから、全てが地つづき時つづき。新しき世だと言い張っても、途切れない時と暮らしが、この地に無い筈がなかった。> この明治20年という時代に込められた情景と空気感が、物語を覆うフレームとなっている。と同時に物語を誘導し、エピソードを生み出す源泉の役割を果たしているのである。では、読みどころは何か。
第一は、着想の非凡さと物語を組み立てる小説作法の質の高さである。物語の発端は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中で東春寺の先代の住職が謎の死を遂げたことである。主人公・冬伯は住職の弟子で廃寺になったため行き場を失う。しかし、二年前に冬伯は寺を立て直した。ところが寺領もないし、檀家もいない。それでも再び廃寺にならないのは、冬伯が住職と相場師という二つの顔を持つ男だからだ。加えて冬伯は師僧の死の謎を追う責務を己に課している。つまり、新たな檀家から持ち込まれるよろず相談事が持つ、時代の空気感と情景をディテール豊かに描き、独立した読物として楽しめるようになっている。更に、その五話に死の謎を解き明かせる材料を忍び込ませる工夫が施されている。