『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』 伊藤比呂美 著
朝日新聞出版より発売中

 タイトルも、小さなお経のようだ。すぐさま声に出し唱えてみたくなる。いつか死ぬ、それまで生きる――これはわたしたちの合言葉ではないか。それにしても、こんなにたくさんのお経があるなんて知らなかった。本書には、現代語訳によって生々しい命を授けられたお経と、生き死にをめぐるエッセイが収められている。今を生きるものばかりでなく、死んでしまった人々、いきものたち。そして彼らを取り囲む自然、記憶。すべてが息づき、一続きの流れのなかにある。もとはサンスクリット語やパーリ語で書かれたものが中国語に翻訳され、それに日本語の音をあてて唱えたのがお経、それをさらに著者が現代の言葉に翻訳。柔らかな、ひらがなの川がここに幾筋も誕生した。「お経のことばの大本にある信心という心の動きが、思考を硬化させてゆがませているようで、それがまた不可解で、不可思議で、スリリングで、目が離せなくなりまして、つい、短いのを一つ二つ現代語に訳してみたら、現代詩みたいになりました。詩というのも、意識のゆがみをことばの上に表現したものですから、当然のことなんです。」

 詩人・伊藤比呂美のお経に対する批評と愛着とがまざりあった言葉だ。よくわかる。信心について考えていくと、わたしは論理的な思考とそれを飛び越えようとする情念みたいなものが闘ったあげく、思考がなぎたおされ、その先に信心がつっぱしるイメージがわく。わたしは信心がこわいのである。特別な何かにすがったり、頼りにしたり、何かを一心に信じるということをしないで生きてきた。いかにも強そうで独立的に聞こえるかもしれないが、信じるより疑うほうに習慣が傾いているのかもしれない。そんなさびしい現代人がわたしだ。むかしの人は、もっとひろびろとした、けれどどこか切迫した気もちで、お経を唱え仏を信じていたのだろうか。そんな彼らにつながりたい。伊藤比呂美訳のお経を読むと、心の内の安全装置がはずれ、決壊するような快感がわく。

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