「九段 斑鳩」店主の坂井保臣さん。「ののくら」白岩さんの原点でもある(筆者撮影)
「九段 斑鳩」店主の坂井保臣さん。「ののくら」白岩さんの原点でもある(筆者撮影)

「父は『名人』と呼ばれるような腕利きでしたので、自分はその道ではなく、生産管理のプロになろうと思いました。少しずつ信頼を勝ち得ていって、結果、1年半で受注量を10倍にしました。その後は海外進出をして、中国での生産管理を商社から任されるようになりました」(坂井さん)

 目が回る忙しさで大変な苦労もあったが、坂井さんは若さで乗り切っていった。

 会社はどんどん業績を伸ばしたが、大きな転機が訪れる。ユニクロの台頭である。クオリティで勝負できた時代は終わり、価格競争や納期の短さが重視され、薄利多売を強いられることになる。坂井さんはここで勝負すべきではないと判断し、当時手掛けていた事業を撤退。板橋に小さなブティックを作り、自社ブランドの商品を売るなど次なる手も打った。だが、これまで以上の結果は出ないと考え、アパレルから手を引くことを決意する。

 今の日本に本当に必要とされるものづくりとは何かと自問自答する坂井さん。仕事をするなら、多くの人に喜ばれるものがいい。そんなとき、思いついたのがラーメンだった。幼いころに父親に時々連れられた「えぞ菊」のラーメンを思い出していた。

「本物志向の洋服作り、そして母の料理の腕。今までやってきたことをふまえて、うちがやるのであれば“本物のダシ”を表現したラーメンにしたいと考えました。千円札1枚で本物の味を追求してみたいと思ったんです」(坂井さん)

「九段 斑鳩」店内にある麺の特徴がわかりやすく記された貼り紙。ここにも本物志向が現れている(筆者撮影)
「九段 斑鳩」店内にある麺の特徴がわかりやすく記された貼り紙。ここにも本物志向が現れている(筆者撮影)


 ここから坂井さんのラーメン研究がスタートした。3カ月かけて、1日3軒食べ歩いた。ラーメンの味はもちろん、接客や席の作り、丼の見栄えなど、様々な面から分析した。何よりも食べ続けることでどんどんラーメンにハマっていく自分がいた。自分の好みさえ分かっていれば、ラーメンほど素晴らしい食べ物はないということに気づいたのだという。

 父親からは修行に出ろと言われたが、かたくなに断った。誰かに教わることでオリジナリティが失われてしまうことを恐れたからだ。一から一人で悩み抜き、自分だけで作ってみたい。坂井さんはそういうタイプだった。

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「お金に糸目はつけませんから…」