「風雲急を告げる」とはまさにこのことだろう。8月上旬、アメリカ政府筋や専門家から「アフガニスタンから米軍などが撤退後、もしかしたら半年ほどで首都カブールもイスラム主義組織タリバンの手によって陥落するかもしれない」という話が流れてきたときは、「そんなにも事態はひっ迫しているのか」と多くの人が驚いた。だが事実はそれ以上に緊迫していた。
【独自映像】密集、叫び声…阿鼻叫喚のアフガニスタン・カブール空港はこちら
筆者は、国際援助団体の契約職員として2005年にカブールに赴任した。そこでアフガニスタン人と結婚し出産。先の見えぬ状況に嫌気がさして夫や子を連れて2016年に日本に戻るまでの約12年間、義母・義兄弟・甥や姪を含む15人の大家族で、市井の人々と交わりながら生きてきた。インターネット通話が一般的になった今、寝食をともにした夫の家族や友人たちとも頻繁に連絡を取り合っている。
そんな市井の人々の声を伝えながら、カブールの「本当の今」を伝えたい。
13日に話した友人のファリッド(仮名)は、「政府高官を狙った銃撃や爆弾テロはある。だけどタリバンがカブールで戦闘状態に突入することはないだろう。タリバンだって無駄な犠牲を出したくないからカブールを包囲しても即戦闘にはならない。政府との交渉で首都の明け渡しを要求するだろうが、合意には少なくとも数カ月かかるだろう」と語っていた。それはカブール市民ほとんどの認識だった。
ところが「15日の夜にはカブールにタリバン兵の姿が現れた」という。当時のガニ大統領は首都を放棄し国外逃亡。政府軍との戦闘のないいわゆる「無血開城」状態で、タリバンがカブールの実効支配を始めた。カブール市民にとってはまさに「寝耳に水」だった。
■協力者として処刑される「噂」
家族はもとより現地在住時代の同僚や何人もの友人から、「日本は私たちを難民として受け入れてくれるんだろ? 政府に聞いてみてくれないか」とせがまれた。以前からタリバンが入ってきたら西側諸国のために働いていた人たちや家族は「協力者」として処刑されるという噂が流れていたのだ。「残念だけど、日本ではアフガニスタン人を受け入れるという話はでていないよ」と答えるしかなかった。