
いつもの明るく、快活な好青年のイメージのまま話してくれたので、私は「ああ、そうなのか」。それ以上、踏み込まずに終わっていた。
今回、この欄を書くに当たり、自分が知らない少年時代の国枝について知りたくなった。国枝の母、珠乃が取材に応じてくれた。
「とにかく体育が大好きでした。給食よりも絶対的な楽しみは体育だったんじゃないかな。マラソン大会は燃えていました。学年で3位とかだったと思いますけど、それでも悔しがっていました。あと、リレーの選手。運動会で見るのが楽しみでしたね」
息子の慎吾が腰に違和感を覚えたのは小学4年生のときだった。最初は近所の接骨院や整形外科に足を運んだが、明確な理由がつかめなかったという。だんだん腰の痛みがひどくなり、「ベッドに寝ることができず、食卓のいすに腰かけて、頭を食卓に寝かせて寝ている時期もありました」。
千葉県松戸市の病院の整形外科に行くと小児科に回され、救急車で東大病院に運ばれて手術となった。脊髄の腫瘍が原因で、すでに歩けない状態だった。
「手術をした後の入院中、つらい治療が終わると、いつマラソン大会に出られるのか、それが本人の一番の関心事でした」
もう走りまわることはできないことを伝えるのは苦しかったが、あるとき、「これからは一生、車いすの生活なんだよ」と伝えたという。
そのときに息子が発した言葉は、今も忘れない。
「窓から飛び降りられるなら、飛び降りたい」
珠乃は、そのときどんな言葉を返したのかは覚えていない。
「病院の何階にいたのか覚えていないですけど、3階ぐらいだったかな。4年生の子がそんなことを言うのか、と思いましたね。反抗期もなかったし、弱音も吐かないタイプ。自ら命を絶ちたい、と言ったあのときが、私が覚えている唯一の弱音ですかね」

国枝に改めて記憶をたどってもらうと、「言われてみれば、ですね。そんなことを言った気がしないでもない」。
退院して自宅に戻ると、バスケットボールに熱中した。千葉県柏市の自宅前は道路の奥で、自動車が入ってこない立地条件にあった。なので、自宅の敷地内から道路に向けてバスケットボールのリングを設置した。「放課後、どこかで遊ぶことができないので、自宅が学童保育のようになればと思っていました。少なくとも毎日、5、6人は集まってましたね」と珠乃はいう。母はおやつと飲み物を用意した。
「私にしたら、あれだけ外を駆け回っていた子がしょんぼりしているのを見るのはつらくて。前の笑顔を見たいな、というのがあったので、それを設置したときはすごく喜んでいました」
(文・稲垣康介)
※記事の続きは2021年8月16-23日合併号でご覧いただけます。