高藤選手の戦いがどうしても気になってしまった内柴氏は、五輪への心の壁はありつつも、テレビをつけて観戦した。画面越しの高藤選手は、決勝戦で台湾の楊勇緯選手との延長戦を粘り強く戦い抜き、60キロ級で今大会第1号となる金メダルに輝いた。
「高藤選手の活躍が、僕の五輪への拒絶心、壁のようなものを払しょくさせてくれました。おかげで今大会は、本当に五輪を楽しむことができています。五輪経験者でタイトルを取った僕が五輪を楽しまなかったらどうするんだという気持ちになれたんです」
今は仕事に励みつつ、グラップリングルールを採用した(打撃を禁止とし、投げや関節、絞め技などの組み技のみ有効とする)格闘技イベント「QUINTET」に出場しながら、グラップリングと柔術の経験を積んでいる。柔術は、始めて3年で茶帯だ。
「柔術とグラップリングに関しては、素人に毛の生えたようなもの。柔道では相手の心の中が見えることもありましたが、柔術とグラップリングに関しては、一手先・二手先までしかわからない。でも、柔道で学んだ教わり上手は生きています」
才能のある次世代選手が次々と輩出される柔道界。柔道に対して未練はないのだろうか。
「もちろん柔道はやりたいですが、僕が表に出ると目立ってしまいます……。今は週に1度、地元の大学生に教えるくらいです。日本では難しいので、もしも柔道を諦めきれなくなったら、もしかしたらまた海外に行ってしまうかもしれないですが、それは0・2%の可能性の話。メダリストにとって、現役引退後は日本の柔道トップ選手を育てるのも一つの夢かもしれないですが、今は仕事を頑張りつつ、新しく始めた柔術・グラップリング、それに柔道の3競技で、地元の方々と関わりたいという目標にシフトチェンジしました」
当初は自分が社会に出ることを許すだろうかという葛藤があった内柴氏だが、今では地元の支えを感じている。
「QUINTETに出るようになってから、顔なじみのお風呂の常連さんが応援してくれますし、店舗スタッフのみんなが僕のトレーニングの時間を作るためにシフトを融通してくれることもあります。店舗の一角で練習しているんですが、そこに柔術のジムの先生や、大学の柔道部の学生などが集まってくれて、一緒に汗を流してくれます。地元の支えがなければ、僕は立ち直れていなかったと思います。阿部一二三選手がチャンピオンになって感謝の言葉を述べていましたが、僕も熊本県の皆さんやいろんな方々に本当に感謝して、一日一日を過ごさせてもらっています」
地元の支えもあって、かつての金メダリストは第二の人生を歩み始めている。五輪の後輩たちの活躍は、そんな彼の活力源になっているようだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)