付近を見渡すと、向かい斜めに交番があった。現場はビジネスホテルの敷地内ではあるが、交番の目の前で起きたと言ってもいいほど目と鼻の先だった。
近くの商業施設の警備員が、発生直後に居合わせていた。ビジネスホテルとは別の建物を警備している人だったが、施設の見回りの際に現場に目を配っていた。
「5分後くらいだったと思うけど、日が昇る前で、ネオンに照らされて暗くはなかった。現場付近には7、8人が集まっていて、警察が若い女性に事情を聴いていた。普段から救急車のサイレンが鳴り響いているもんだから、いつものように酔っ払いが倒れているだけだろうと思っていたんだけど……」(警備員)
警備員は数時間後のニュースで、未成年の男女2人が飛び降り、亡くなったことを知った。男性は18歳の専門学校生、女性は14歳の中学生だった。
「たばこは線香代わりじゃないかな。さっきまで缶チューハイも3本手向けてあったんだけどな。どこに行ったんだろう」(警備員)
1カ月後の6月11日。再び訪れた時には、線香代わりのたばこも酒も、花もなかった。玄さんは言う。
「未成年の自殺が学校で起きたら、原因はいじめかとメディアは追求する。けど、場所が歌舞伎町になると、薬物や男女のもめごとだと思われて、その背景をメディアも誰も関心を持たない。珍しくないから麻痺している。1日、1カ月経ったら、もうなかったことになる。けどな、歌舞伎町は欲望を吐き出す場所で、社会の吹き溜まりだから、もろに人間の本質が露呈すんねん」
命の重さは量れない。コロナ禍の自殺者数、1日の感染者数、重症者数、死者数…。結果の数字ばかりを目で追うメディアや社会が、命の重さに「麻痺」を生じさせていないだろうか。そう思わずにはいられなかった。
(AERA dot.編集部・岩下明日香)