とはいえメインになるのは、人情が強く伝わってくる作品だ。繰り返しになるが、注意したのは人情のバリエーションだ。宇江佐真理の「松葉緑」は、隠居した商家の老女と若い娘。中島要の「目が覚めて」は、兄弟子と弟弟子。野口卓の「皿屋敷の真実」は、鏡磨ぎの老人と、仕事先の商家の娘。山本一力の「菖蒲湯」は、同じ土地に生きる大人と子供。このように人情が生まれる人間関係ひとつを取り出しても、重ならないようにしたのである。
それとは別に、是非とも採りたいと思ったのが、青山文平の作品だ。優れた短編集が何冊かあり、いつかはアンソロジーに入れたいと、虎視眈々と狙っていたのである。テーマを意識しながら読み返し、「つゆかせぎ」に出合って快哉を叫んだ。作中で示される、庶民のギリギリの人情が、素晴らしかったからだ。
こんな感じで作品を選んでいるうちに、西條奈加が『心淋し川』で、第164回直木賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。おお、西條作品も入れなければと思い、新たに本を引っ張り出す。そして菓子屋を舞台にした連作シリーズの第一作「カスドース」に決めた。
実は現在の時代小説の短編は連作シリーズであることが多い。したがってシリーズの途中の作品だと、基本的な設定の説明が省略されているなど、単体作品として取り上げるのが難しい場合がある。この点を勘案して、第一作にした。もちろん人情が、きっちり描かれている。いい作品を採れてご機嫌。アンソロジーを作る喜びを、あらためて噛み締めてしまったのである。
などと、もっともらしいことを書いているが、根本のところでは好きな作品を並べているだけである。自分の好きな物語を集めて一冊の本にする。昔からアンソロジーが好きで、よく読んでいた私にとって、こんなに心躍る仕事はないのだ。
かくして本書は完成した。面白いアンソロジーになったと自負している。現在、コロナ禍により、先の見えない時代になってしまった。こんなときだからこそ、読者の心を癒やす一冊になることを祈っているのである。