『なみだ――朝日文庫時代小説アンソロジー』
朝日文庫より6月7日発売予定
いきなり断言しよう。アンソロジーとは、幕の内弁当である。説明するまでもないだろうが、幕の内弁当は、主食となる白飯と、数種類の副食となるおかずを一緒にした弁当のことだ。いろいろなおかずの味を楽しめるところに、人気の高い理由がある。
しかし一度の食事であるため、おかずには味の方向性が求められる。無定見におかずを詰め込んでは、ひとつひとつの味はよくても、統一感がなくなる。優れた幕の内弁当は、全体の調和まで考えられているものだ。だからこそ、それぞれのおかずの味が楽しめるのである。
アンソロジーも同様だ。まず本のテーマが統一されたものでなければならない。その上で、収録された各作品の味わいに、バリエーションが出るようにしている。少なくとも私は、そのような信念でアンソロジーを作っている。朝日文庫から刊行された、時代小説アンソロジー『情に泣く』『悲恋』『おやこ』、そして4冊目となる本書『なみだ』を読んでいただければ、納得してもらえるはずだ。
という前振りをしたところで『なみだ』である。今回のテーマは“人情”だ。担当編集者と、なんだかんだと考えた末、シンプルなテーマこそ力強いメッセージになると思い、あえて人情にしたのである。なお、痛みによる反応を別にすれば、涙は情動により生まれる。この点に魅力を感じて“なみだ”というタイトルにした。
ところでここ数年、何社かでアンソロジーを作って、分かったことがある。今の若い読者は、現在活動中の作家の作品を好むようなのだ。明確な理由は不明だが、自分たちと同時代を生きる作家に、より深く共鳴するからであろうか。そのあたりのことを勘案して、現役の作家の作品を中心にすることにした。当たり前のことだが、アンソロジーも時代の動向と無縁ではいられないのだ。
さて、以上のことが決まったので、後は作品のセレクトである。ここが一番大変で、一番楽しい作業だ。今回、最初からこの作品を採ろうと思っていたのは、澤田瞳子の「『なるみ屋』の客」だけである。人情というテーマが決まった瞬間に、頭に浮かんだのだ。とはいえ人情を前面に押し出した物語ではない。詳細は避けるが、人々の人情の裏にある慚愧や後悔を描いた、苦みのある佳品なのだ。人情がテーマだからといって、ハートウォームな内容を並べたのでは全体の印象がぼやける。読者に予想外の一撃を与えるためには、このような作品が必要だ。そのような意図を持って選んだのである。