――スーさんには、自身をファザコンだと感じることは一度もなかったのだろうか。
スー:ファザコンの自覚はありませんが、人から見たらそうなのかもしれませんね。母親が底なし沼のように懐の深い女だったので、私にもその気質が多少は遺伝してるんですよ、やっぱり。影響も受けてますし。
――そんな、両親との関係性が大きく異なる二人が、いま父親に向ける感情が似ていることは、とても興味深い。
スー:吉田さんもうちも、たまたま運がよかったのかな。親を愛したいのに愛せないっていう話はとてもたくさん聞くし。親ってガチャだから、もう。
吉田:ガチャ!(笑)
スー:ガチャって、お金を入れてつまみを回すまで、何が出てくるかわかんないじゃないですか。それと同じだなって。子どもと相性の悪い親もいるでしょう。私たちは、紆余曲折あっても、親に何かしてあげたいという気持ちになれたけれど、別にそれが偉いとも思わない。たまたまラッキーだった、っていう感じですかね?
吉田:でも私は、母が生きてた頃は、ネガティブな思いのほうが強かったな。母が私に嫉妬して冷たかったから、私が母親を好きになれなかったのか、私が反発していたから、母がそういう態度をとったのか、それはわからないけれども。常に、母に反発する思いと、なぜもっと母に優しくできないんだろうって思いがありました。
スー:わかる。私は多分、父がそうなる予感がある。母が死んだあと、父親とものすごく険悪になった時期があって。「父親」「縁を切る」で何回も検索して、どうやったら籍を抜けられるかまで考えたことがあるくらいだから。でもね、大好きだった母親を私が24歳の時に亡くして、限界まで献身的に看病して、それでも、二十数年経ったいま、まだ後悔があるんです。ということは、父が死んだらたぶん私、後悔の塊になるなと思っていて。だからね、いま父と上手くやっているのは、保身でもあるんです。
吉田:家族って、大切だけど、面倒くさいんですよね。親とつきあうヒントが、この作品にはたくさんあるなと思います。
(構成/編集部・伏見美雪)
※AERA 2021年5月24日号をもとにしたAERAdot.オリジナル記事