江戸に幕府を開いた徳川家康以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが「神君」と崇められた家康から、密かに「暗君」とささやかれた将軍まで「知力」「政治力」「外交力」「家臣の力」「人望・カリスマ性」の5つの基準で徹底評価。ベスト3とワースト3は?
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知力ベスト3
「生類憐みの令」で暗君の印象だが実は、学識や教養に優れていた綱吉
“犬公方”といわれ暗愚な印象の綱吉だが、儒学や仏教に造詣が深く、詩歌にも秀でていた。幼少から聡明をうたわれた慶喜は、越前藩主・松平春嶽も「衆人に勝れたる人才」と褒めたほど。趣味も囲碁、謡曲、写真、狩猟など多彩で玄人の域に達した。薬学に秀でた家康だが、囲碁や香道にも通じ、活版印刷で多数の書籍を刊行する文化事業を展開した。秀忠は能や茶に造詣が深く、儒者・林羅山の講義で次々と質問するほど漢学に詳しかった。好学な家宣は侍講・新井白石によく学び、将軍になると生類憐み令をただちに撤廃した。
政治力ベスト3
老練、斬新、強権政治……名君がみせた巧みな政治手法の数々
律儀さで信長の信頼を得、豊臣政権の五大老となった家康だが、秀吉の死後豹変して武力で天下を奪い、強引に豊臣家を滅ぼし政権を安定させた。その老練な政治力は将軍随一。紀伊家から宗家を継いだ吉宗は、側用人政治を廃し老中をおさえて権力を握り、足高の制、上げ米など前例のない斬新な改革で財政を再建。その手腕は恐るべし。父の家康が死ぬと、秀忠はいきなり多くの大名を改易し、自分に権力を集中させた強権政治の手法は見事。慶喜は、わずか1年の慶応の改革で軍制を再編し、強大な洋式歩兵軍を創り上げた。
外交力ベスト3
並みいる諸大名を従え、南蛮勢力とわたりあった家康
家康は朝鮮との国交復活、東南アジアでの朱印船貿易拡大、イギリスやオランダとの交易など、積極的な外交を展開。国内ではかつては豊臣政権の同僚だった諸大名を統制し、軍事力を削いだ。家光は、対外的には鎖国制度を完成させ貿易を独占。一方で格式の序列化や参勤交代制度を義務化し大名をおさえ幕藩体制を確立。慶喜はフランスと提携して幕政改革を一気に進め、パリ万国博覧会に日本(幕府)の代表団として弟・徳川昭武一行を派遣、世界に日本の存在を知らしめた。