
故郷、熊本県・八代を旅するイメージ
ちなみに、唯一、人の姿が写っていないのは、土手の上から写した九州・球磨川の風景。曇り空を背景にトンボが飛んでいる。
「地元です。実家の前です」
熊本県八代市。城の堀に小舟が浮かんだしみじみした写真もそうだという。「城下町です」。そんな本山さんの言葉にふるさとに対する誇りが感じられる。
石垣のまわり茂る歴史を感じさせる大木。それが夏の日差しを受けて深い陰影を生み出している。
「落ち着いた、いい雰囲気ですね」と、私が言うと、「震災(16年の熊本地震)でこの石垣がけっこう崩れちゃって」と、寂しそうにつぶやく。撮影したのは2010月8月。10年の歳月を感じさせる。
「今回の作品で訪れた場所のほとんどは、仕事、写真展の開催とか、何かのついでですね。あと、家族が住んでいる長野県上田市にある家の裏とか、千曲川沿いだったりします。そういうのが多いです。あえて『ここに行く』、みたいな感じじゃなくて」
一方、大阪や福岡といった大都市の風景は見られない。理由を聞くと、「何ででしょうね?」と、自問する。
「八代のイメージが、やっぱりあるんでしょうね。そこに近い空気を持っているところが多いかな」
その言葉の意味を実感したのはインタビューの後、前作の写真集『日本 2001-2010』(蒼穹舍)を開き、あとがきにこう書かれているのを見つけたときだった。
<僕にとっての初めての「旅」は(帰郷した)この時の故郷だった。この旅をきっかけに今まで行ったこともない町へと旅をするようになった。それは僕をすこしだけ自由にした。たくさんの町と人とに出会い、宝物のような多くの濃密な時間を過ごすことができた>(注:カッコ内は筆者)

なじみのある風景が明日、撮れなくなることを実感した熊本地震
長い間、私にとって本山さんは、「SMタブロイド」の印象が強かった。グラフ誌のような大きな判型の薄い写真集で、02年からの4年間で全16巻が発行された。毎号「月光ナイト」「火の国ブルース」「沖縄タイフーン」「西国ララバイ」など、ポップなタイトルがつけられていた。
「いちばん最初はナイトクラブみたいなところばかりを撮っていた」と言う。
写されているのはひなびた地方都市が多いのだが、明るいタイトルを浮き立たせることで、暗部を強調した硬めに焼いた写真をさらに沈めている印象があった。
それに対して、「今回の作品は、昔とはぜんぜん違いますね」と、本山さんは言う。
写真展と合わせて発売する写真集『日本 2010-2020』(同)のあとがきには、こう書かれている。
<僕にとって、いや、僕に限ったことではないだろう。この10年の月日は日本を一変させた>
その気持ちを、本山さんは前作の『日本 2001-2010』を手に取ると、こう語った。
「これを出した直後、東日本大震災(11年)から始まって、自分の身のまわりでは、熊本地震で両親が避難したり、球磨川の水害があった。2000年代は大きな災害は比較的少なかったと思うんです。でも、この10年は立て続けに、何かあった気がして。一生撮れるんじゃないか、と思っていたことが、明日撮れなくなってしまうことを実感しました」