それは油井さんがテストパイロットになって間もないころ、F-2での訓練中に発生した出来事だった。操縦ミスだった。操縦桿を引き続けると驚くほど急激に速度が失われた。機体はついに背面飛行の状態となり、そのまま姿勢でどんどん海面へと落下していった。飛行速度がないのでふつうの動作では舵が利かない。そこで舵のリミッターを外そうとするのだが、0G(無重力状態)で体が浮き上がり、必要なダイヤル操作がうまくできない――そう、一瞬思ったのだが、ダイヤルの周囲にはリングがあり、それに指を引っかけると容易に回せたのだ。それによって危機を脱出できたという。
油井さんはこう回想する。この機体を開発中、先輩のテストパイロットが同様な状態を試験して、このダイヤルにリングを取りつける必要性を見つけ、それを訴え、実現したのだろう、と。
リング自体は小さな部品にすぎない。しかし、そんな地道なブラッシュアップの積み重ねがこの国の危機対応力を着実に高めている(単に既製品を買って使っているだけでは、なぜそのような仕様になっているのか、永遠にわからないものだ)。
陸上自衛隊のヘリコプターで飛んだり、海上自衛隊の大型機で飛んだり
一方、テストフライトにはまったく別の厳しさがある(むしろ、こちらのほうが圧倒的に多いだろう)。彼らは人間の忍耐の限界を探る実験のような飛行を繰り返すのだ。例えば、フライトごとに速度を1ノット(約1.9キロ)変え、飛行特性のデータを収集する(何百キロもの距離でだ)。計画した速度の許容値を超えてしまえば即、やり直しである。
しかも、飛行特性がはっきりしない試作機を操りながら、である。そのため、彼らは「陸上自衛隊に行ってヘリコプターで飛んだり、海上自衛隊の大型機で飛んだり、ありとあらゆる機種を経験する」(徳永さん)。身近なものに例えれば、軽自動車から大型トラック、はたまた一輪車まで、きわめて正確に乗りこなせる操縦技術が求められる。
さらに操縦中に機体に何が起こっているのかを計測器だけでなく、五感をフルに使ってとらえる能力や、その現象を技術者に数値や数式を使って客観的に伝えられる頭脳も必要とされる。技術者との共通言語である「フーリエ変換」くらいは軽く使いこなせなければ務まらない。「修士号を3つ持っている人もいます」(徳永さん)。
当然のことながら、自分たちが行っている試験の内容は技術者と同様なレベルで熟知している。でなければ、むらのない、美しいデータはとれないものだ。
徳永さんはテストパイロットを、実戦部隊の「トップガン」(※2)とは立ち位置が異なる最高峰のパイロットだという。彼らは乗り込んだ機体を手足のように操る飛行機野郎であるとともに、空飛ぶ技術屋集団でもあるのだ。