『万葉集』というと“日本人の心のふるさと”みたいなイメージで語られがちだ。えてして「日本だけの」「日本にしかない」という思い込みにもつながりかねない。
遠藤耕太郎『万葉集の起源』は、『万葉集』の世界を東アジアに根づく歌文化に関連づけたところが面白く、そして感動的だ。
著者は20年以上、中国雲南の少数民族の村でフィールドワークを続けている。本書では歌文化のさまざまな実例が紹介され、『万葉集』の歌と対比される。
少数民族の村では老若男女が集まって恋歌を掛け合う歌垣的習俗があり、なかにはそれをきっかけに結婚することもあるという。また、人が死んだときに行う喪葬儀礼では、死者を呼び戻す哭き歌と死者を送る歌とが夜を徹して交わされる。恋の歌も死者を送る歌も、『万葉集』では重要な位置を占める。『万葉集』的なるものは、けっして日本だけのものでなく、東アジアに広く伝わるものなのだ。
恋歌を掛け合うといっても、「好きです」「わたしも」と単純なものばかりではない。ほめたり、からかったり、じらしたり。重要なのはそれをおおぜいで、つまり公開でやることだ。2人が密かに歌を交わすのではなく、ゲームのように、お祭りのように楽しむのである。
『万葉集』には字句通りに受け取るとエロチックな歌も少なくない。つい「古代の日本人はエロかった」などと考えがちだが、もしかするとそれは歌垣の場を盛り上げるシャレのようなものだったのかもしれない。
『万葉集』の見方が変わる画期的な新書だ。
※週刊朝日 2020年7月31日号