書名を見ただけで「わっ、それはうちのことだ」と思った人も多いはず。垣谷美雨『うちの父が運転をやめません』は都会に住む一家とその親世代の物語である。

 猪狩雅志は大手家電メーカーの研究室に勤めて30年になるサラリーマン。妻の歩美はデザイン会社の部長職。ともに50代の夫婦である。息子の息吹は高校1年生。

 もっかの夫婦の心配は、田舎に住む78歳の雅志の父がいまも運転をやめないことだ。高齢者ドライバーの交通事故のニュースを見るにつけても不安は募る。

 帰省した際、車を見ると、案の定ドアに凹みがある。<何にぶつかったんだよ>と問い詰めても<しつこいな。なんだってええじゃろ。もう忘れた>。<じいちゃんは何歳まで運転するつもり?>という孫の問いには<わしは死ぬまで運転するつもりじゃ>。

 完全に「あるある」である。だが雅志は過疎の村の現実にも直面するのだ。ただでさえ本数が少ないバスは赤字で廃止が決まっている。駅からタクシーに乗れば5千円。<もしも親父が車の運転をやめたら、生活はどうなる?><買い物に行けんようになって飢え死にじゃ>。「生協は?」と聞くと母が答えた。<こんな所まで配達には来てくれん>。その上、地域を支えるスーパーまでが撤退すると聞き、雅志はぶち切れた。<嘘だろ。そんなのアリかよ>

 運転免許は生活の便宜のためだけではなく、プライドや思い出と直結している。かつては父親の存在意義のしるしでもあった。事故を起こしてからじゃ遅いよ、返納すればいいじゃん、と子どもは思うがそう簡単じゃないのだね。

 結局、猪狩家で生活を変えたのは、息子の雅志と孫の息吹のほうだった。予想外の展開ながら、自分の生活は温存したまま親世代に要求するだけじゃ事態は変わらないのだと思い知らされる。

 ラスト近くでついに父はいう。<今わしが乗っとる車は、息吹が十八歳になって免許を取ったら譲ってやる>。さあ、どうやってここまで漕ぎ着けたか。簡単じゃないですよ。人生の問題だよ。

週刊朝日  2020年4月24日号