魔術師のいる島に行く。というとまるでファンタジー小説のようだが、ノンフィクションである。
フィリピンのシキホール島には魔術師がいる。呪文を使って人に危害を与えるのだという。プラープダー・ユンの『新しい目の旅立ち』は、この黒魔術の島を旅した記録である。
著者のプロフィールと旅に出るまでの経緯が面白い。著者はタイに生まれ、アメリカで教育を受けた。タイに帰国してからは、作家、デザイナー、アーティスト、出版社経営者として活躍している。その彼が哲学に興味を持ち、日本財団の研究助成金を得て、フィリピンと日本のアニミズム的信仰について研究することになった。シキホール島への旅はその一環だ。
といっても、この本は紀行文や文化人類学的フィールドワーク報告とはちょっと違う。哲学的エッセーというのが近いだろうか。著者が島に向かいながら考えるのはスピノザと汎神論についてであり、魔女から奇っ怪な施術を受けているとき頭を占めているのはソローの『ウォールデン』とユナボマー(アメリカのテロリスト)なのである。
ここに旅の醍醐味があり、考えることの愉楽がある。目の前にあらわれた景色を見るのではなく、その景色を見ることで得られた「新しい目」で物事を考える。考えることそのものが楽しい。魔女の呪術が本物かどうかは、たいした問題ではない(著者は、魔女に擦りつけられた彼女の唾液から病気がうつるのではないかとしきりに心配しているが)。スマホで写真ばかり撮っていたのでは、「新しい目」は得られない。
※週刊朝日 2020年3月13日号