――それが生徒たちとのクライマックスのシーンで生きている。身分を隠して生きよという父親からの戒めを守り続けてきた丑松だが、学校で部落出身者だと噂を立てられ、次第に追い詰められていく。丑松は生徒たちの前で自らの出自を告白し……。
![丑松と下宿先の娘、志保(石井杏奈)との淡い恋も見どころ。7月8日から東京・丸の内TOEIほか全国公開](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/7/b/840mw/img_7bc0dfa4fcf699bfa10baad8fc7a09f465835.jpg)
「新作」に意味がある
間宮:出自を明かすシーンは撮影の後半だったんですが、撮り終えるまでずっとそわそわしていました。このシーンがいかに大事か、頭の片隅でずっとぐるぐるぐるぐる回っていたので、撮り終えたときは内心ほっとしたというか、一つ荷が下りたという気持ちになりました。生徒役を演じた子役たちから跳ね返ってくるものが、自分の中では大きな力となりました。
――「部落差別」がテーマの本作は、SNS全盛の今も当時と変わらない「差別」の現実を意識させずにはおかない。
間宮:僕は今なお、この映画が「新作」として公開されることに意味を感じています。でも、島崎藤村はどう思うんだろう、とは思います。小説が書かれて100年経った今も、まだ新作としてこの映画が世に出ること、意味を持っていること自体をどう捉えるのだろうかと。差別がなくなると思っていたわけではないでしょうが、100年以上経った後に映画化されるとも多分思っていなかったのでは。
「破戒」は今も社会で差別の実態があるからこそ、伝わる話です。部落差別ではないにしろ、映画は差別を人ごとのように捉える作品にはなってないと思っています。
――この作品とかかわったことで一番印象に残ったことは、「世界は主観からしか覗(のぞ)けない」ことに気づいたことだという。
間宮:人は同じ世界を共有していますが、その中でそれぞれ自分の時間を持って覗いているので、無数の世界がある。この映画で言うと、部落出身の丑松が主観で覗く世界と、部落出身者に対して差別の目を持った人が覗く世界とでは、同じ時代の同じ地域の話でも、その視点によって世界はだいぶ様変わりします。最終的に自分の主観で見る世界を変えられるのは、その主観を持つ自分しかいないのだ、と痛感しました。